デスマスク

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デスマスク

 昔からちよくちょくと、浴槽内で眠ってしまうことがある。  家族に何度も危ないと言われ、独り暮らしをすると言った時にはこれを理由に反対された。それでも、風呂は可能な限りシャワーですませ、長湯は絶対にしないと訴えて独り暮らしに踏み切ったが、冬場はシャワーだけではやはり寒く、ゆったり湯船にに浸かっている内に意識が飛び、溺れかけたこともしばしばだ。  今回も例に洩れず、うっかり風呂で寝落ちてしまった。  幸いにも、鼻から下が沈んだ時点で必ず目は覚める。今回も同様で、息苦しさにまた眠ってしまったことに気づき、顔を上げようとしたのだが、どういう訳か水面から顔が離れない。  体は動くのだが、どんなにもがいても頭は湯船から抜け出せない。  パニックのせいもあるがたちまち呼吸困難になり、もがきまくっていた俺の目に、何やら顔のようなものが映った。  自宅の風呂桶の中に人がいる訳がない。なのに何かがこちらを見ている。溺れ死にそうになっている俺を見ている。  反射で顔の正面辺りを叩くような動きをしたら、今の今までそこに見えていた顔は消え、同時に湯から顔を離すことができた。  しばらくそのままで呼吸が整うのを待ち、おそるおそる湯船を覗く。けれど中には何もない。  さっき見えた顔のようなものは何だったのだろう。幽霊だとしても、このアパートで暮らすようにになってから、そんなものは一度たりと見たことがなかったのに、いきなりこんな体験をするなんて。  戸惑いながらも、怖い思いをした場所にいつまでもいられず、俺は慌てて風呂から上がった。さっさと体を拭き、寝巻用のスウェットを着込む。その際、鏡に映った自分の顔を見て愕然とした。  さっき湯中で見た顔がそこに映っていたのだ。  間違いなく俺の顔なのに、生気のかけらもない青ざめた虚ろな顔。  それを目にした瞬間、俺はさっきのあれが何だったのかを悟った。  あれは俺が死んだ時の顔だ。  溺れかけ、生死の境をさまよった時に見た、自分自身のデスマスク。  ギリギリで俺はこちら側に踏みとどまることができたが、あのまま呼吸が絶えていたら、今頃、さっき自分で見た通りの顔で湯船に浮かんでいたことだろう。  これ以来、俺は風呂で眠ることはなくなった。なにしろ一度死にかけ、自分の死に顔まで見たからな。もう一生、風呂場で寝る程リラックスなんてできないよ。 デスマスク…完
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