7/8
559人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ
 一瞬バカにされているのかと思ったが、未だに駒井の大粒の涙は止まらない。だが、そんなに生活力の無さを強調されても不可抗力だと言いたい。 「料理したところで、一緒に食事をする相手がいなければ虚しいだけだろう。自己満足するタイプでもないからな」  仕事にしろ、料理にしろ、出世欲もなければ喜んで欲しい相手もいない。残るのは、ただ生きるための惰性だ。 「今は、俺がいます」  大きな瞳に涙をためた駒井が、見たこともない真剣な表情で樹を見た。心の中まで透けて見られるような目に、心臓が跳ねた。 「食器とかも全然ないし、樹さんこの家に人を入れたことって、ないんじゃないですか?」 「言われてみれば、そうだな」  いきなり何を言い出すのかと思ったが、駒井の言葉に間違いはなかった。確かに、この家に自分以外の者が入ったのは駒井がはじめてだった。 「初日は別としても、その後も俺を家に入れてくれましたよね。なんでですか?」 「なぜと言われても……」  そんなに深く考えて行動したわけではない。成り行きと言えば成り行きだ。それでも、今は当たり前のように招き入れている。  まっすぐに樹に向かう瞳を見返す。大きな目が泣いた名残で赤くなっている。表情は真剣なのに、顔は涙と鼻水のあとでぐちゃぐちゃだ。髪もいつもより乱れていて、あちこちに跳ねている毛束がしっぽを振っているようだ。樹は無意識に、その髪に手を伸ばした。  柔らかい髪に指を通すと、なぜか懐かしい感じがした。 「そうか。似てるのかもしれないな」  駒井に聞こえないほど小さな声でつぶやくと、その言葉はすとんと胸の中に収まった。  犬を飼い始めたのは、樹が五歳の時だった。兄弟は無理だけど、せめて兄弟のように仲良く一緒に育って欲しいと願って、ゴールデンレトリバーの子犬を迎えたのだ。両親の願い通り、本当に兄弟のように仲良く共に育ってきた家族だった。  それなのに、この八年愛犬のことも両親のこともほとんど考えなかった。記憶が錆びつくほどに目を逸らしていた。それが、こんなにも深く思い出し、おまけに他人に話している。それはきっと、この髪の感触と人懐っこく大きな瞳が、兄弟のような愛犬と重なったからだ。 「樹さん……」 「わ、悪いっ」
/69ページ

最初のコメントを投稿しよう!