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そんなこの不景気には持ってこいのイベントだったにも関わらず、俺も要領が悪い。やはりサッカーがまずかった。あまりにもサッカーに興味がなさすぎた。
本当、四年前の一九九八年は今より生活が困窮していたので盛り上がれなかったから、次回のワールド・カップこそは、その国際的行事を媒介にして世界中と一体感を味わおうと思っていたのに、なかなかうまい具合にいかない若盛り。いや、四年前のその当時は貧乏な上に現時点以上に浮き草生活真骨頂。つまり、テキトーに生きていた。精神スタンス的に。だから、そんな大きなサッカーの大会に、ウツツをぬかしている状態ではなかったし、ウツツをぬかせる資格もない、と考えていたんだった。今は生活も幾分楽になったし、そこそこ地面に根をはって生きている、と勝手に思っている次第。そんな自覚があるのに、やっぱりウツツはぬかせなかった。
という事はあの頃と大して俺は変わっていないのか? 社会との連係はなりえなかったのか? 周囲との密接な関わりは持てなかったのか。
もしそうだったら、進歩がないということ、だったのだろうか。でも、現実問題お金は食っていく分は何とかある。経済面だけを測りにして考えるのも何だが、自分の成長度合いの分かり易い目安ではある。いや、金銭云々というより、やはりセーシン的に俺自身が成長していないのか?
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