消失の春

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……送っていくよ  ある夜、彼がそう言って立ち上がりました。サヨナラの挨拶の代わりにごめん、とひとつ謝るのが最近の彼でしたので、これには驚かされました。  冷たかった風は随分丸みを帯びて、春の気配を含んでいます。彼の数歩後ろを、私は黙ってついていきました。 ……いつもごめん  ぽつりと言葉を落とす彼の後ろ姿は寂しげでした。 ……いいの、好きでやってる事だから ……辛いのは俺だけじゃないって、頭では分かってるんだけど ……うん、私もまだ気持ちが追いついてない  それからまた互いに口を閉ざして、ただ歩き続けました。均等に並んだ街灯の白い光に、二人の影が長く伸びているのを見つめていました。  と、公園の前で突然彼が立ち止まりました。遊具の向こうに大きな桜の木が一本見えます。 ……去年、カオリとここで花見したんだった  呟く声は夜の静けさに溶けてゆきます。二人だけの思い出は、指先すら触れてはいけないものに思えて、私はただ息を潜めて桜を見つめていました。 ……まだ、咲かないね  呟きの余韻が消えた頃、私はそっと背中に声をかけました。 ……もうすぐ見頃かな ……そうだね、きっともうすぐ――  もうすぐ、彼女の四十九日。私はコートのポケットに手を当てながら言いました。 ……もしも――もしもカオリともう一度会えるとして、でもそのためには全てを失わないといけないのなら、会いたい? ……会いたいよ ……命を引換えにしても?  彼はこちらを振り向いて、悲しげに微笑みました。  彼が一瞬でも死に戸惑いを感じるのなら、彼女の遺言は胸にしまっておこうと思っていました。私は一生、その罪を背負い続けていこうと。けれど―― ……会えるよ、カオリに  私は強く握った手を彼の方へと差し出しました。
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