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父と息子の湯
暁光はまだ山の向こうなので、露天風呂には灰色の夜空が映っている。
夜空と言っても、もうかなり青い。
「日の出は、5時29分だって」
就職を機に、海斗は坊主頭にした。ケイに似てひょろりと青白いから、マッチ棒のようだ、と思っていたが、労働のおかげか、案外しっかりした体躯になっている。
5月の連休に、わざわざ宿を予約してくれた。
最上階の展望露天が決め手だったと、自慢げに。
若女将が、夕食時、座敷を回るような老舗旅館だ。
交通費も自分で持つと言って、結局はレンタカーだったけれど、初任給の半分は吹っ飛んだはずである。
岩に打ち込まれた竹の樋から、源泉が注がれる音がとろとろと心地よい。
昨年、胃がんの手術をした傷が、まだわずかに沁みるような気がする。傷にもいいんだろうな、と、ケイが腹を撫でていると、
「昔、お相撲さんがいたよね、温泉に」
海斗がこちらを向いて、湯の中でふわりと胡坐をかいた。
「お前、だいぶ小さかったけど、覚えてるのか」
ケイは少し驚いた。あれは、海斗が3歳くらいだったはずだ。
「すごい覚えてるよ。怖かったのに、親父が声かけるからさ。でも、お風呂でションベン、洩らせないし」
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