いざ、

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 今朝、目が覚めた時に、隣に燕爾はいなかった。 遊郭から旅籠屋に戻ってから、朝飯を食べても、昼飯を食べても、己の人相書が張られてはいないか市中を見て回っていても、頭に浮かぶのは燕爾のことばかり。 文蔵は、八ツ小路で風呂屋に行ったあと、深川で夕飯を食べ酒を呑んだ。 絆されきった頭でだらだら呑んでいたら平衡感覚を失って、深川から日本橋へふらふらと夜道を歩いては来たが、ついに酔いつぶれて通りがかりの稲荷でひと息ついたが最後、眠りこけてしまい、 「なんでぃ、……ん?」  などと寝ぼけ眼で頭を掻きながら、今しがた目を覚ましたところだ。 辺りを見渡す。  こんな寒い中でよく眠れたもんだなと、己に感心しながら起き上がる。 頭上には、雲の流れが見て取れるほど、満月が煌々と輝いていた。 「情けねえな」  稲荷の階段に腰掛けて膝に頬杖をつけば、こんな生活をいつまで続けるのだと自問する。 人の温もりとは、ああまで温かいものだったかと。 大事なことを忘れつつあるような気がした。 世捨て人となってはや数年。親しい者も作らず、ただ、生きる。ただ生きることに、はたしてなんの意味があるのか。     
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