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深夜の告白
「殺しちゃったの」
一週間前、桐島は電話でそう言った。
「強く押したら壁に頭をぶつけて。動かなくて。こ、後頭部に血が滲んでて」
その日、僕は描きかけだった桜の絵に没頭していた。
桐島の言った「桜の下にこわいものが埋まっている」という言葉が妙に刺激になって、試しに全ての絵の具に少しだけ赤を混ぜてみたのだ。枝にも、花びらにも、土や岩、空にも少量の赤を混ぜた。わずかに血の色を潜ませた絵は、妙に艶っぽく思えた。
絵を描く喜びをこれほど味わうのは、久しぶりのことだった。満足感を得たのも。
「すぐに行くよ」
僕は桐島に言った。左手に持っていた絵筆を水入れに突っ込んだ。
「だから待ってて」
部屋を飛び出し、中古の軽自動車で彼女の元へ向かった。
赤信号に止められるたびに舌打ちし、今までなら考えられないほどの速度で車を飛ばし、十分後には彼女のアパートについていた。
桐島のアパートは、あまり治安のよくない地域にあった。地元でも数少ない歓楽街の裏通りにある、古びた建物だ。モルタルの壁面に点滅するネオンの明かりが映っている。逸る気持ちを押さえ、外付けの階段を上る。チャイムを鳴らすと、すぐに彼女が出てきた。
僕を部屋に入れ、カギを閉めると桐島はそのままずるずるとドアにもたれかかり、狭い三和土に座りこんでしまった。僕は靴をはいたまま彼女と向かう合うように腰を下ろした。遠くでトラックのクラクションが聞こえた。苛立ったように、連続して鳴っている。クラクションの響きが消える。桐島がぽつり、ぽつりと話し始めた。
桐島の恋人は、彼女に暴力をふるっていた。彼女が少しでも他の男と口をきくと、逆上した。いつものことだったと、桐島は疲れたように目を伏せた。彼女はとても小さく見えた。
「僕の部屋で待っててくれ。すぐに戻るから」
小刻みに震える桐島に住所を伝えながら僕は思った。今こそ、無償の愛を捧げるときなのだ。
「僕が死体を隠してくる」
「どうして?」
桐島が僕を見上げていた。
「君を」
胸の奥がかすかに震えるような気がした。
「君を、愛してるからだ」
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