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エピローグ
あれからどれだけの月日が流れたのだろうか。
今の僕は青年――お兄さんからおじさんに変わってしまった。それ程の時が流れたのだ。
アベルさんとはもう長い間会っていない。どこに行ったのかも分からずに、僕に母さんの残してくれたお金を渡して、消えた。きっと母さんのことで色々と責任を感じているんだろう。……そんな必要は無いのに。
僕を今まで母さんが育ててくれた、あの出来事、あの記憶を忘れたことは一度もない。
僕の全てはあの人が育ててくれたんだ。
そのことを、あのことを、言えなかったあの言葉を僕は聞こえないあの人に向けて言う。
「――ありがとうございました」
「なに呟いているの?」
部屋に僕の最愛の人が入って来た。
「いや、別に。ただ、ある人に伝えたい思いを言っただけ」
「そう……変な人ね」
変な人か。確かに僕は変わり者、変人だ。それは否定しない。
「ご飯、出来たから。早く来てね。あの子も待っているわ」
「うん、今行くよ」
今の僕には命に代えても守りたいものがある。
あの時の母さんの気持ちは今ならわかる。
本当に、心の底から素晴らしい人だった、と。
「ああ、そうそう」
部屋を出て行こうとしている人を止める。
「君に――僕を愛してほしい」
今更なことを言う。
「何馬鹿なことを言っているの? そんなの、とっくに愛しているわよ」
当たり前の返事を聞いた。
満足した僕は椅子から立ち上がって、書きかけの本を閉じる。
“母さん。僕はあなたを幸せに出来ましたか?”
そう心の中で言った。
“もちろんだ。我が愛しの息子よ”
空耳だろうか、あの人の声が聞こえた気がした。
一人で微笑み、部屋を出て行く。
僕はあの人の、あの言葉を忘れない。
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