シロツメ少年は春を呼ぶ

2/2
前へ
/2ページ
次へ
 シロツメ少年は夜を走る。  川沿いの土手道に足音が響く。少年の歩幅は狭い。駆け足は単調に、辺りに靴音を鳴らす。  春の闇は薄青い。寝ぼけ眼で見る朝方の空と、冬の群青が溶け合う色。身を切る風は冷ややかで。冴えた空気を吸い込めば、肺いっぱいに青葉の香りがくすぶった。  息を切らせながら土手を下れば、目的地はすぐそこだ。川岸に咲く、一本桜。少年は走る速度を緩め、木の下に立つ。  街灯はさしずめレモネード。一泡弾けるたびに、辺りを月のごとく照らす。薄桃の花は淡い光の傘となり、咲き誇る。凹凸のある幹に触れれば、優しくも力強い命の本流が震え出す。息吹は枝の隅々まで行き渡り、花弁に色をつけ、散らしていく。  足元では若草が揺れる。ふっくらと頬を丸くしたふきのとう。白い体を優雅に伸ばすつくしの群れ。夜明け待ちの蜂蜜色たんぽぽ。紫と薄紅を混ぜたれんげ。  少年は川縁にしゃがみこむと、手にしていた王冠を水面に放つ。シロツメ草で作られた艶めくリース。この日のために編み込んだ特別な一品だ。  今日は春の女神を迎える、特別な日。  ふわり、ひらり。  舞い踊る木漏れ日の花弁。穏やかな水流に落ちれば、その身を煌めかせ大地を離れていく。  街灯の明かりを飲み込んだ川は、蛍のごとく瞬いて。花びらを巻き込み、桃色灯篭を作り出す。  ひゅうっ、と風が吹いて、さざ波が笑う。  一羽のひばりが桜の木から飛び立った。  夜明けだ。  背中に橙を受けながら、少年は振り返った。朝日が地平を閃かせ、世界を白に染める。  ひばりの尾が夜を払う。翼は影となり、光を裂いて空を行く。  少年は片手で目を覆った。指の隙間から踊る桜の花が見える。花弁の一枚一枚を光が穿ち、その筋を、細胞を、眩しく呼び覚ます。  春だ。春が来たよ。  そして、世界は透明になる。        
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加