貞子さんの千羽鶴

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貞子さんの千羽鶴

原爆投下から奇跡的に助かりながら10年後に急性白血病を発症し苦しみながら亡くなった少女がいます。 佐々木貞子さんは当時2歳。二つ上の兄と両親、祖母と爆心地から1.6キロ離れた自宅で被爆されました。 通説では半径2キロ圏内は致死率が100%だとされます。しかし佐々木さん一家はかすり傷程度で済みました。 その後、広島市内へ避難したのですが、途中で祖母だけが「どうしても忘れ物を取りに帰る」と制止を振り切って帰宅。 燃え盛る家から数百メートル離れた防火水槽に上半身を突っ込んだ状態で発見されたそうです。 それから市内へ移り住み、理髪店を営んでいました。店はかなり繁盛していて当時のお金で一日に数千円の収入があったといいます。 貞子さんも小学校の運動会でリレー選手に抜擢されるほど活発でした。 ところが小学校四年に夏風邪をこじらせました。微熱がなかなか引かないため、様子を見ていました。 すると喉に痛みを感じるようになり医者に診てもらったところ、米軍病院での精密検査を奨められました。 当時、広島市にはABCC(原爆障害調査委員会)という組織があり、被爆者の健康調査が行われていました。 そこで急性白血病と診断されました。     
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