【What are people thinking】

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 それはMRを使う事によって脳内が支障をきたすとか、混乱してしまうとかの類ではない。MRを使う事によって、その他者の記憶や過去や人格を請け負う事が重荷になってしまうのである。言ってみれば相手の今までの生きてきた情報が、自分の頭の中に入り込むというのは、もう一人の人間の人生を背負い込むようなもの。そこに桂井はひどく生真面目にも重責を感じていた。こんな軽々しく人の頭の中を詮索してよいものか、と。月並みな表現ではあるが、今まで経てきたその人の人生の重みというものを、一瞬かつ急激に自分の脳内に流れ込んでくるのは、なかなかの疲労となりストレスにもなる。自分の人生観とシンクロする部分もあり、相反する考え方もあり、勝手に自分の脳が葛藤したり躊躇したりする。つまり、MRを使った相手と脳内で対話してしまう自分がいる事を認識してしまう。否が応でも。それは常に考え込んでいる状態と同じようなもの。思い詰めれば鬱病 にもなりかねない。 別段、そこまで自分を追い込んでいたつもりはない、と桂井自身は思っていたが、MRをみだりに使う事が出来なかったのも事実。無意識的な部分でMRの使用を自分は抑えてしまっているのか、と反芻してみる。  いや、深く考えこんでも仕方ない。多分、MRと僕の相性が悪いのだろう。  そのように桂井が胸の内で活論づける頃、桂井は同僚とともに馴染みの蕎麦屋に到着していた。今日はリッチに海老天そばとミニ親子丼のセットにするか、と給料日前、清水の舞台から飛び降りる決意をもってして。  夕方。 仕事も間もなく終業となる頃。桂井は仕事終わり間近になっても、本日はMRを誰にも使っていなかった。MRを使う事によって相手の記憶や過去は勿論のこと、普段の生活でありプライベートも覗く事になる。それに対して罪悪感を覚える、という程ではないが桂井はある種の業(ごう)を背負ってしまうような嫌いがあった。考えすぎだろ、と自嘲気味に桂井は顧みるが、なかなか心中払拭できないでいる。それでも仕事はいつもの習慣と惰性でしているので、特に支障をきたす事なく業務を今日一日処理していったが。     
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