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女が言いながら、灰色の髪の掏摸男の方向を指す。彼は一瞬で腰を普通の高さまで上げて、どこに隠し持っていたのか、鞘に入ったままの短剣を出した。
民衆が女の指した方向に視線を集め、その周辺にいた男が服を叩いて顔を青くした。
「金がない!」
その言葉から俺も、俺もと男たちが声を上げ始める。まだ誰も掏摸男に気づいていない、という時に、彼は女と目を合わせて、口角を上げてみせた。
そして、すう、と大きく息を吸って、
「丘の上に逃げたぞ! 追え!」
などと、真剣な顔つきで法螺を吹いた。
そして民衆たちは、彼が犯人だと気付きもしないまま、女を放って丘の上の架空の掏摸犯を追って行ってしまった。
「あはは、みんないなくなっちゃったなあ」
掏摸男は笑いながら、服の下から戦利品を出す。じゃらじゃらと音を出すその袋には、大量の硬貨が入っているに違いない。
「……お前は、私を殺すのか?」
「うん?」
彼はまるで緊張感のない表情のまま、武器も構えずに悠々とこちらに寄ってきた。なぜ彼が首を傾げているのか、女にはわからない。
「私を殺せば、そんな端金なんかより、よっぽどいい額が貰えるのだろう」
「ああ、確かにそうだね。こんなこと一生しなくても生きていけるくらいの金は入るかな」
「そこまでわかっていて、なぜ殺さない? 今なら誰もいない」
女は飄々とした男の態度が気味悪くなって、挑発するように声を上げた。
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