(criticism)

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 映画の発祥と呼ばれる出来事は、リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフが一八九五年に上映した〈工場の出口〉という作品であると言われている。この映画自体の内容は、フランスのリヨンで仕事帰りの人々を撮影しただけの、ある意味で試験的かつ実験的な映像なので、その映画自体に娯楽性やテーマもない。むしろその後に作った〈列車の到着〉という映画の方が、その映画的娯楽の感性の萌芽を見せている。フランスの町のラ・シオタにある駅に蒸気機関車が、映画のタイトル通り到着するだけの話なのだが、その映像の臨場感や迫力が大いに観客にウケた。  そのウケた観客の一人である、フランス人のジョルジュ・メリエス。彼は当時、パフォーマー(奇術師)やその裏方として生計を立てていたが、シネマトグラフの成功を目撃して、「これはこれから金になる!」と胸算用し、映画製作の道へ進む事にする(もっとも二十世紀の初頭では、映画そのものの産業化が確立していないので、メリエス自身が映画プロデューサーや映画監督のパイオニアになるから、映画製作の道を進む、のではなく自ら築いていったと言った方が適しているかも知れない)。 そして、そのメリエスが一八九六年に発表した作品、〈悪魔の館〉こそが最古のホラー映画として現在では認知されている。つまり、リュミエール兄弟がシネマトグラフを発明した翌年には既にホラー映画は誕生した、という事になる。 モノクロのクラシック、所謂、古典名画というと、美男美女のメロドラマや世界的文芸作品の映画などを連想しがちだが、限りなく映画のプリミティブな部分では、やはり高尚な小話よりも、インパクトの強いアイディア一発的な動画が好まれたのか。     
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