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どういう経緯でその話になったのかは、忘れてしまった。
「完璧なんてものは、存在しない」
長い指に髪を弄られながら、柔らかく響く低い声を聞くのは、案外悪くない。ああ、とか、いや、とか、たまに訊かれたことの答えを返す。そうすれば、話題の豊富なこの男は、上手に話を繋げてくれる。
この時は、そうか、とだけ呟いた。するりと首筋を撫でた指がくすぐったくて、思わず頭が動く。ほら、じっとしてな、と窘める声には笑みが含まれていたから、わざとだろう。項や頭皮を掠める指に弱いのを知った上で、遊んでいる。
性質が悪い、と思ったことは口に出さないでおく。どうせ何を言ったところで、この男は口唇を緩やかに撓ませた表情を変えることはない。
「完璧なんてものは、存在しない。完璧になった瞬間、それは『欠点がない』という『欠点』を負うことになる。『ない』ものがあるのは、完璧じゃない」
そうか、ともう一度呟いた。先とは違う意味合いを、察しの良い男は読み取ったようだった。
「満ちた月は欠ける、咲いた花は散る。完璧というのは、頂点を極める一刹那のこと。線でも面でもなく、ほんの一点。それが自然の定めなら、完璧を保ち続けるのは、自然の摂理に反することだ」
だから、完璧なんてものは、存在しない──三度、同じ科白が繰り返される。違和感を覚えたのは、そこに男の執着を見たからだ。
来るものは拒まず、去るものは追わず。
拘りのない男は、周囲に万遍なく優しく、等しく無関心だ。
それなのに、何故。
「一刹那」
「うん?」
「存在するんだろ──完璧は」
淡い色の目が、僅かに細められる。それを鏡越しに見ながら、言った。
「だったら、やっぱり『ある』んじゃねぇか」
はは、と乾いた笑い声を上げ、それから男は息を吐いた。深く長く、溜め息にならないように慎重に、空気を逃がしたように見えた。
「お前は……ごく稀に、呆れるほど聡いね」
随分と人を馬鹿にした科白ではあるが、不思議と怒りは湧かない。
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