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「確かにな。刹那でも、それを無かったことには出来ないか。完璧で『あり続ける』ことは出来ない、そう言うべきだろう。『亢竜悔いあり』って知ってるか? 天上に上り詰めた竜は、後は落ちるしかないと知って、悔やむんだ」
何故、完璧に拘る?
「完璧じゃなきゃ、いけないのか」
「いけないことはないさ。完璧じゃないからこそ、人は完璧を求める。概念でしかない『完璧』を実存に引き下ろそうと足掻いて、文化やら科学やらを進歩させてきたんだろう」
違う、そうじゃない。そんな「どこかの誰か」のことは、どうでもいいのだ。知りたいのは、別のこと。
「お前は」
鏡越しに、目が合う。
いつも薄く笑みを刷いている男の虹彩は、琥珀色だ。陽の加減によって、それは蜂蜜色になりチョコレート色にもなる。
その変化が光度だけでなく、男の心の在りようにも影響されていると気付いたのは、いつだったろう。
「──お前は、完璧を求めているのか?」
「俺が求めているのは、完璧より手に入れにくいものさ」
それは何だ、と訊ねることは適わなかった。視線を逸らした男の横顔が、一切の反応を拒んでいる。
元々口数が多い方ではないし、巧い言葉も知らない。さらにタイミングを逸しては、口を閉ざすしかない。
男はワックスを手に馴染ませ、目の前にある頭の髪型を整える。
口唇を緩やかに撓ませた、いつもの微笑。
「さあ、出来た。どうだい?」
ああ、と答えれば、ケープを外される。男は小さく頷いて、呟いた。
「完璧」
複雑な心境が顔に出ていたのか、鏡越しの視線に気付いた男は、小さく肩を竦める。
「これ以上俺が手の加えるところはない、という意味において『完璧』なんだよ」
「これも『刹那』か」
そう、と呟いた唇が、耳元に近付く。
「だから──もっと頻繁に、通っておいで」
後頭部に寄せられた顔と、そこに触れられた感覚。
鏡越しに見つめる虹彩は、飴色。とろりと濡れていて舐めると甘そうだ。
──何だか、思ってたのと違うのよね。別れましょう。
勝手に偶像を作り上げ、実像がそぐわないと落胆して、彼女は去った。理不尽だとは思ったが、傷付きはしなかった。流されるように付き合っただけで、彼女に特別な感情を抱いていたわけではなかったから。
そういう自分こそが一番非道いのかもしれないと、ふと思う。
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