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ひどく酔った夜でした。
ふらつく足で踏ん張って、改札口を抜けるとき、ようやくあれが終電だったことに気がつきました。金曜の駅前は人で溢れ、タクシー乗り場には長蛇の列が出来ています。私は立ち止まりました。財布の中身、最後に残った五千円札を先ほどの店に置いてきたばかりです。薄手のコートをかき寄せてはみたもののあまり効果はありません。少しばかり肌寒い夜道ですが、歩いていれば幾分体も暖まることでしょう。
ぱらぱらと目の前を歩く後ろ姿が、一人、また一人と減っていきます。大通りを渡り、三叉路を右に入ったあたりで人影は完全に消えました。電線越しに見える白い月が無人の町を静かに照らします。どうせ誰もいません。私は寄り道することにしました。天気予報で、週末には桜が見頃を迎えると言っていたような気がします。いくらか歩いて冷静になったつもりでいても、依然としてアルコールの影響は残っていたのでしょう。しかし、唐突な花見は、そのときの私にはとても良い案に思えたのでした。
川沿いには桜の立ち並ぶ一角があります。昼間は近隣の住民らが集まり、家族連れの姿も多く見られる、地元では有名な花見スポットです。満開の時期には、白く咲き誇る桜がトンネルのように小道を覆い、幻想的な光景が広がるのですが、残念ながらまだ少し早すぎたようです。遠目からでも枝の色が見え隠れします。ふわふわと心地の良い眠気が渦巻くのを振り切って、私はポケットに両手を突っ込みました。足早に近づいてみれば、電灯に照らし出された蕾は案の定硬く閉じています。私は黒々とした木の幹を意味もなく撫で回しました。こうして立っていても、欠伸と酒臭い息が零れるばかりです。もう帰ろう、そう思って寄りかかっていた木から身を離した瞬間でした。視界の隅、その人物に気がつきました。
それはとても小さな人影でした。二本離れた木の下で、上を見上げて立ち尽くしています。
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