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「こんばんは」
ひどく酔った夜でした。風は止んでいました。私は何の躊躇もなく声を掛けました。こんな真夜中に突然陽気に話し掛けられたら驚きそうなものですが、その人物は平然としたまま身動きもせず、目線をこちらへ向けることもありませんでした。
「咲いてます?」
あちらは陽当たりが良いのかもしれません。私は暢気に言葉を連ね、大股で近づいていきました。返答のない横顔を覗き込みます。その人物は年老いた女性でした。皺だらけの両手で前方に杖をつき、体重を支え立っています。微動だにしない視線の先、一体何があるというのでしょうか。私はポケットから出した手で邪魔な前髪をかき上げて、彼女と同じ方向を見上げました。
「……カラス?」
悠々と伸びる枝の上、三羽のカラスが止まっていました。寄り添うように並ぶ二羽と、少し低い位置で彼らを見守るように止まる一羽。よくよく目を凝らさなければ気づきもしないような位置です。彼らの様子は、駅やゴミ捨て場で見掛ける忙しない姿とはまるで違いました。同じほうに嘴を向け、ただ静かにそこにいます。不思議とその姿は気高く映りました。美しいとすら思いました。
「綺麗ですねえ」
途端、隣の老女が勢いよくこちらを向きました。その素早さに驚けば、彼女はそれ以上に驚愕した様子で、皺だらけの瞼の奥にある両目をこれでもかと見開いています。ほとんど無意識に発した言葉でした。一向に言葉を返さなかった彼女の琴線に触れるような台詞だったのでしょうか、それとも耳が悪い方で今ようやくこちらの存在に気がついたのかもしれません。訳も分からぬまま、私はもう一度繰り返しました。
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