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「……え?」
陽一は訝し気に少女を見つめた。
──今、“この世界を去る”って言ったか? どういうことなんだ、それは。
少女は陽一から視線をそらすと桜の木々に目をやった。桜の花弁は時折枝を離れては空を舞い、音も無く校庭に降り積もっていった。
「桜が咲くと、皆盛大に騒ぐわ。でも花が散ってしまうと、そこに桜の木があったことすら忘れてしまう。咲いて初めて、そこに桜の木があったことを知ったり思い出したりする。花見と称して浮かれ騒ぐけれど、実際のところは桜でも他の花でもどうでもいい。都合よく騒げる口実に使われるだけ。それがどんなに残酷で悲しい事か、分かってくれる人は……もう殆どいない」
虚ろに呟くと、少女は俯いた。
「だからもううんざりしてしまって。いっそ私、いなくなってやろうと思ったの」
力なく微笑んだ少女の瞳に不穏な輝きが迸る。
──咲いて初めて、思い出してもらえる。非行に走ることで母親に存在を思い出してもらえた時のことを思い出し、陽一の心は一瞬疼いた。
だが桜の存在意義を憂う趣旨の発言と、少女自身が“いなくなってやろう”と発言したこととの間に因果関係が見い出せず、陽一は焦りを募らせた。
「……あんた、桜に対してなんか特別な思いがあるみたいだけど。だからって、なんであんたがいなくならないといけないんだ?」
陽一の問いに、少女はふっとシニカルに微笑んだ。
その刹那、少女の姿が背後の桜の木に溶け込むようにふわりと揺らぐ。驚いた陽一がまばたきを数度すると少女の姿はまた元通りのフォルムを取り戻すが、陽一はこの世のものではない存在と対峙しているのではないかという予感を拭えなくなってきていた。
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