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アキラは賢い。そして優しい。ここにいる誰よりも。ここにいないサトシよりも。
きっと馬鹿だって言われるんだろうな。
そう思いながら、私は顔を上げて、力を込めて彼らを見た。努めてはっきりと声を出す。
「私が、アキラを預かります」
しばしの沈黙に、ヒグラシが歌い出した。
じれったいほど歩みの遅い西日が、ほんのちょっとずつ濃く、重みを増していく夕暮れ。
ゼリーの中に閉じ込めたように、静止した時間が、いまもくっきりと胸に残っている。
あれから五年ちょっと。私はあのときのサトシの年齢を追い越して、アキラは私の髪を毎日乾かす習性を持つようになってしまった。
「さっきの話だけどね」
ドライヤーのコードを束ねながら、ふと思い出したような言い方をするアキラに、私は首を傾げた。
「どの話?」
「バイトの話。そっちが聞いたんだろ、忘れるなって」
その話題を秒殺で却下したのはあんたでしょ。
私の視線に憎たらしいくらい動じずに、アキラは自分の話を続けた。
「来週いっぱいで辞めます」
「あら。なにかトラブルでも?」
「まさかぁ。お金貯まったんだよ、おれ」
「そうか……頑張ったね」
アキラは高校のころからアルバイトをして貯金していた。美容師になりたいと言っていて、その道の学校に進むためだ。
「これからのほうが大変だけどね」
そうなのだ。専門学校はこんな田舎にはない。部屋を探して、引っ越して、手続に勉強にアルバイト、とやることが山ほどある。
生活するだけでも家事全般必須だ。私たちはそれをよく知っている。
でもなんとかなることも知っている。たまには手を抜くのも大事だってことも。
「じゃ、ここを出るのね。いつごろ?」
「近いうちに。向こうにいる先輩が部屋探しを手伝ってくれる。バイトも決めて、学校が始まるまでに町に慣れておきたいから」
「わかった。なにもできないけど、見送りくらいさせてよ」
「なんか、あっさりしてるね、セツ。感極まって泣いたりしないの?」
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