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バイクが1台入って来た。
(客は断ろう。これ以上守る対象を増やすわけにはいかない)
だが、軽快にフロントへの階段を登ってきた若い男から微かに血の匂いがした。
「やあ、泊らないんだけど俺の友だちからここにいるって連絡があって会いにきたんだ。2、3時間ほどで帰るから構わないかな?」
「構いませんよ。まさかパーティーなんておっ始めないでしょうね、それなら先に追加料金もらわないと」
「あはは、大丈夫だよ。ちゃんと大人しく帰るから。えと」
「ディック・オーウェン。彼んとこですね? さっきも1人来たらしいから。4号室です」
「助かるよ! 悪いけどコーヒーくれる? さっきからいい匂いだ」
「んー」
「分かった、チップは払うよ。これ」
人差し指と中指の間に挟まれた10ドル札を見てにやっと笑ってみせた。
「たっぷりお持ちしますよ」
口笛を吹きながら部屋に向かう後姿をじっと見送った。奥に向かって声をかける。
「ジョシュ、用意できたか? 一人増えちまった。もう入ってろ」
「え、じゃデュークは?」
「俺は1号室と5号室の客を何とかする。それに大人しく引き上げるかもしれない。誰もいなくなればかえってマズいことになる」
「じゃ、これ」
ジョシュから差し出された銃を押し返した。
「言ったろ? 何があるか分からないって。最後まで持っとけ。それから俺以外は誰も入れるな。他の客もだ。全部敵だと思え」
唾を呑み込む音がした。
「分かった。全部、敵。デューク以外は」
抱きしめてジョシュに熱いキスをする。
「じゃ、後で」
ジョシュが安全になったことでホッとした。
作っておいて良かった、パニック・ルーム(緊急避難部屋)を。こんなに早く使うことになるとは思ってもいなかったが、突然作ろうと思い立ったこと、寝ずに作業するほど切羽詰まった気持ちになったことには何か意味があったのだろうか。狼男の鼻を誤魔化せる『camphor tree』を大量に買い込んで作った小屋だ。
コーヒーをたっぷり用意する。何か入れるなんてことは考えもしない。連中は鼻がいい。それよりこのコーヒーの匂いを利用した方がいい。
たっぷり入ったコーヒーポットを2つとカップをトレイに乗せた。我ながらよくこの左腕が動いていると妙な感心をしている。あれ以来、左腕のコントロールが効かないことが増えていた。
ことさら普通に足音を立てた。そして4号室の手前で派手な音を立ててトレイごと落とした。なるべくコーヒーが広がって零れるように。
すぐに4号室のドアが開いた。
「どうした!」
さっきの陽気な男だ。
「すみません、ちょっと手が悪くって。すぐ掃除しますから。コーヒーも新しいの後で持ってきますよ。少し待っててください」
「いいけど。手伝おうか?」
「とんでもない! ちょっとこの辺りでガタガタしますけど気にしないでください。急いで拭かないと匂いが染みつくんで」
男は納得したらしく引っ込んだ。
デュークは5号室をノックした。少しして男が出てきた。
「なんだい、今の騒ぎは」
(クソっ!! こいつもか!)
なぜかデュークには狼男が正確に分かるようになっていた。
「いえ、廊下でコーヒーを零しちゃったんで迷惑かけてやしないかと……」
「大丈夫だよ」
「明日、チェックアウトですよね?」
「そうだが?」
「相棒が街に出ちまったんで、朝俺が見えなかったらフロントで怒鳴ってください。近くにはいますから」
「分かった。なんだ、あの坊やいないのか」
「2,3日留守なんですよ。何か用がありましたか?」
「1人じゃ足りないかと……いや、あんたの手がさ」
「ご心配なく。じゃ、お騒がせしました」
ピンときた。『足りない』のは食いもののことだ。つまり自分やジョシュのこと。
(食う気、満々かよ)
敵は4人。こうなると小細工じゃどうにもならない。
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