スロウ・ミュージックの、そのあとで。

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初めて出会ったとき、私も由樹も、死のうとしていた。 妻子も職も失った私は、古い雑居ビルの屋上で、飛び降りようと決めたのに勇気が出ず、手摺りを掴んで長いこと逡巡していた。 そのとき、背後から若い男に声をかけられた。 暗い目をした、横柄な青年だった。 何の用かと問うと、彼は「どうせ死ぬ気なら、アンタの体を使わせろ」と言った。 意味がわからなかった。 どういうことだと確認する暇もなく、彼は、私を地面に倒して性行為をした。 要するに、強姦した。 男にそんなことをされたことがなかった私はパニックになり、43にもなって赤ん坊のように泣きじゃくった。 たぶん、私はずっと、泣きたかったのだと思う。 壊れたように溢れる涙と鼻水にまみれ嗚咽する私を、襲った当の男はずっと抱きしめて背中を撫でていた。 自分も飛び降りるつもりだった、と彼は言った。 「何か、最悪なことをしてから死のうと思った」 その「最悪なこと」に選ばれたのが、オッサンを強姦することだったのだと。 何故そんなことを考えたのか、と問うと、俺の人生が最悪だから、最悪オブ最悪で締めたいと思った、と彼は答えた。 理解できなかった。 24時間営業のファミレスでハヤシライスを食べながら、彼はそんな話を訥々とし、さらにぼそっと呟いた。 「そんなに最悪でもなかった」 (あずま)由樹と名乗った青年は、私のように何も持たないクズ中年から見れば十分恵まれているように思えた。 若いし、外見も整っている。 その上、大層記憶力がよかった。 隣のテーブルで、注文の取り消しや追加を大勢にいっぺんに言われて混乱していた店員を、彼は助けた。 注文を、正確に復唱した。 さも当たり前のように。 どうしてそんな男が、自殺などしようと思ったのだろう。 彼はただ、「俺はクソだから。どこへ行ってもダメだから」と吐き捨てるように言った。 「そんなことないだろ!」 思わず口にすると由樹は、まるで生まれて初めて犬を見たときの、息子のような顔をした。 物珍しそうに、少し警戒して、けれど隠しきれない関心で目を逸らさない。 私は、自分でも滑稽なくらいまくし立てた。
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