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沈黙の秒数
月日はあっけなく流れていった。
「トモ、起きてるか?」
数学の先生の声が、絡まった思考を遮った。慌てて窓の外から視線を外し、顔を上げる。
「すみません。起きてます」
自分でもびっくりするくらい声が裏返って、教室が笑いに包まれた。
先生が丸めた教科書で僕の額をぱしんと叩いて、あからさまに肩を竦める。怒っているというより、呆れに近い感情が垣間見えた。僕はほっと胸を撫でおろした。
「やれやれ。いくら蜷音(になおん)に推薦が決まったからって、気を抜くんじゃないぞ」
男子の大きな笑い声が止むと、クスクスという女子の小さな笑い声が聞こえた。
愛想笑いを交えて軽く頭を下げ、配られたプリントを手に取った。
先生が僕に背中を向けてからすぐに、隣から柔らかな声がした。
「トモくん、また寝てたの?」
「寝てないよ」
「寝てたよ」
鈴が転がるような声で、音羽(おとは)が笑った。もったいぶったように視線を泳がせて、音羽はゆっくりと口を開く。
「推薦合格、おめでとう!」
「……どうも」
「ずっと噂は聞いてたけど、本当に蜷音へ行くんだね。先生たち、すっごく喜んでたよ」
僕が4月から通う予定になる蜷川音楽高等学校は、日本でも屈指の教育水準と実績を誇る音楽学校だった。中学2年生で全国のピアノコンクールを5連覇した僕に、ありとあらゆる周りの大人から告げられた。「蜷音への推薦合格は間違いない」と。
そしてそれは、先月の推薦入試を以って、現実となった。
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