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小学生の頃だ。いつも音羽がそばにいた。
「トモくん、それなあに?」
「ピアノの曲を作ってるの」
「ええっ!すごい!ひいてみせてよ」
「いいよ」
「……トモくんはすごいねえ」
「そんなことないよ」
「すごいよ。わたしの一番のじまんは、トモくんだよ」
「じまんが、ぼく?」
「うん。トモくんがうらやましいよ」
僕が五線紙に、恥ずかしげもなく不恰好な音符を書き込んでいるとき。音羽はまだ、僕のそばにいたんだ。
ピアノなんて、まだお稽古事でしかなくて。みんなと同じように遊んで、同じような話をするのが当たり前だった。
できそこないのおたまじゃくしは、一応、聞けるだけの旋律を頭の中で奏でていた。五線紙のてっぺんに、これまたヘタクソな字で「おとは」と書かれている。
これは音羽のために書いた曲だった。そして、完成した曲を音羽に聞かせることなく、音羽は僕のそばから去って行ってしまった。
音羽は、この曲を覚えているだろうか。そこまで考えて、溜息混じりに首を振った。
何を考えているんだろう、僕は。
放課後のチャイムが鳴り響く。部活動を終えた生徒たちがちらほらと、帰路へと足を伸ばす。
少し離れたところで、手を繋ぎながら歩いていく男女が見えた。確かめるまでもなくわかる。何回も、何百回も、目で後を追った背中だ。
五線紙を鞄の中に突っ込んで、僕は足早に教室を去った。
桜のつぼみは、まだ開かない。
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