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いったん部屋に向かう。部屋着にしている小学校の体操服のズボンとTシャツ(体操服の上は袖とか胸の辺りが苦しいのだ)を着てダイニングに戻る。
麦茶のティーパックをやかんに放り込んで水を注ぎ、火にかけた。お茶の代わりに冷凍庫から箱アイスを一本引き抜いてかじる。
一息ついて辺りを見回すと、無造作にバランスボールが置いてあった。これはお母さんの犯行。煮物が出来るのを待つ間とかにこれを使って跳ねている。何度躓いたか分からない。はっきりいって邪魔だ。母親世代の中途半端な健康指向はなんなのだろう。使いもしないのにぶら下がり健康器具なんて買って。今では立派な倉庫の肥やしだ。
しかしそんな愚痴も部屋が冷えていくと霧消していった。リビングと繋がる扉を開け放しているから冷気が流れ込んでくるのだ。
私はバランスボールに腰かけて青い火を眺めた。アイスを食べてしまうと途端に眠くなってきた。棒を捨てて屈む。バランスボールは、ぐぐぐと軋んだ。睡魔が水飴みたいな糸を垂らしてきて、それを掴むかどうかの逡巡があった。ダメだとわかっていても眠い。やかんの笛、早く鳴って。このままでは眠ってしまう。……そういえば吾郎くんはいつも口笛を吹いている。授業中でも窓際一番後ろの席で、小さなボリュームで。先生に何度か注意されている。それでもまるで堪えていないようだった。曲は懐かしい感じがする親世代の歌謡曲で、周りの友達に冷やかされても澄ましていた。
『常夏色の風追いかけて~あなたを掴まえて泳ぐの』。どういうわけか歌詞をするすると思い出すことが出来る。そういえばこれはお母さんがカラオケでよく歌う曲だ。
『私裸足のマーメード~小麦色なの』
ダン、っと音がして視界が九十度傾いた。その瞬間笛が鳴って飛び起きる。慌てて火を止めたところで、自分が微睡の中でバランスボールからずっこけたことを知った。ふと思い出す。吾郎くんは色白の人が好きだと言ったのは奈緒ちゃんじゃなかったか? 本人から直接聞いたわけではない。足元を見つめると、サンダル焼けした爪先が見える。『夏を味方につけるのよ』お姉ちゃんならそういってくれる気がする。私は携帯電話を取りに自室に急いだ。ペディキュアを塗っていこう。麦茶を冷やすのも忘れずに。
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