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夢見る桜
桜の名所といえば日本中にいくらでもあるだろう。
この町にも、規模は小さいが地方のニュースでとりあげられる程度の桜の名所というものがある。
私はその桜並木が好きで、この時期は毎日早朝に散歩することにしていた。
なぜそんな時間に行くのかというと、真昼以降になると人が大勢集まるので、私はそれがとても苦手なのである。私は桜を見たいのであって、桜を理由に飲み食いする人間を見たいわけではないのだ。
ある日いつものように桜を見ていると、その幹に身体をあずけるようにして立っている少女がいた。
その少女はいまどき珍しいくらい大和撫子らしい風貌をしていた。艶のある長い黒髪、真っ白な肌、そして光の加減でわずかに色を変え続ける茶色い瞳。春休みだというのに濃紺のセーラー服を着ているのは、学校になにか用事があるのか、それとも別の理由なのかもしれない。
こんな早朝に制服を着た女の子をみるのは初めてだったので、私はつい声をかけた。
「そこで何をしているんだい」
少女は突然話しかけられたことに一瞬狼狽したが、私の顔にぴたりと視線を向けると小さく微笑んで、
「ごらんのとおり、桜を食べているのよ」
といった。しかし私には、彼女が桜を食べているようには全く見えなかった。まじまじと見るが、やはりただ桜に寄りかかって立っているだけにしか見えない。
どう返答すればいいか悩んだ私は、適当に「美味しいのかい」と尋ねた。
「ええ、とても」
そういって、彼女は桜から三歩ほど離れた。
「桜は夢の味がするのよ。誰だって桜を見ると夢を見ずにはいられないから。桜はその夢をいっぱい吸い込んで、夢を凝縮させてその身にため込んでいるの。だからとっても美味しいのよ」
「なんだか蜂蜜みたいな話だね」
「そのとおり、蜂蜜みたいなものよ。そして蜂蜜よりずっとずっと甘くて美味しいのよ」
彼女はうっとりとした表情で桜を仰ぎ、くるくると桜の花びらと一緒にダンスする。
しかしすぐに表情を曇らせた。
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