第1章

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 真一郎がこの世を去ってから、アトリエは日向に捨て置かれたままになっていた。その内部にはその後もしばらく病人の寝床の饐えた匂いが漂い、また真一郎がいなくなった途端に何やら廃墟のように空気が澄んだ感じがした。  そのうちにリリイや仲間たちが来て、公太も真一郎もいないのを見て荷物を引き上げていった。二人がいなくなったということは、この夢の家がもはや家の体裁を失ったことを意味していた。  行きがかり上、春繁は何となくこのアトリエの管理人のようになった。彼は最後にはアトリエにいる人々の炊事や風呂焚きなどもしていて、最も物の在り処には精通していた。  肝心の公太などは、真一郎が暴れていた時には傷だらけになって看護していたくせに、意識を失って危篤になるともう寄りつかず、死ぬ前に一度会ったきりで、死に目にも立ち会わなかった。  当然、真一郎の遺品にも触ることが出来ず、その整理なども彼ら二人をよく知っている春繁が引き受けることになった。 (全部あの人の言った通りだ、)  と、公太は恐らく自分から逃げるだろうと言った真一郎の聡明さを、その死後になって春繁は思った。公太に対する怒りが起こっても、それらがいちいち真一郎に予言されていたことに突き当たると、彼の聡明さに対する懐古の情に感情が吸い取られてしまうようだった。 (これも、か)  残された物を整理していて、春繁は公太がまるで芸者に貢ぐように多くの装飾品を与えていたことを密かに知った。なかには封も切られずに置かれている百貨店の箱もあり、春繁自身がかつて欲しがった真珠の髪飾りのようなものは、その箱の山に塵芥のように埋もれていた。  持ち主のいなくなったそれらの箱を、春繁は片端から開けた。公太はわざと流行でない物を金をかけて作りたがる癖があり、服飾の流行が興る度に彼の真一郎に対する貢ぎ物の創作は増えていたらしかった。  ある時、春繁は象牙で出来た竜の頭を象った簪が床に転がってるのを見つけた。拾って光りに透かして見ると、漆塗りの絵には金箔が貼られており、春繁の見る限り大層贅沢でとても品のないものだった。 (こんな物でも美しく見える人だった)
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