第1章

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(これはまずい、)  この夢のような美青年を見て、己が最初に抱いた感情が「恐れ」であったことを、春繁はのちも鮮明に記憶していた。彼がちらと公太を見ると、この欲深で軽薄な青年の横顔は、早くも目の前の宝石を手に入れることの喜びにのみ輝いていた。 (イヤだなーー)  春繁はふと、背に冷たいものが走るのを感じた。それは言わば、彼自身意識していなかった、公太との間の友情に現れた皹の冷たさだった。 (公、無茶言っちゃいけない)と春繁はかろうじて言った。 (何言ってやがるシゲ、見たかあの顔、) (見たよ、確かにキレーだけど、でも、)と、春繁はちらと美青年の方に目を遣った。美青年は素早く目を逸らし、どこか恥ずかし気に制服の袖を掴んで俯いた。 (どう見ても男じゃないか)  実際、日下真一郎は美形ではあったが、線の冷たさが男性的で、いくら何でも女性には見えなかった。また彼はその日、地元でよく見かける高等学校の制服を着ていたが、よく見ればそれも随分着古されて綻びていた。  どう見ても「美人を求む」という広告を見て、己の美しさを売りに来た青年とは思えなかったーーその硝子細工のような細緻な輝きを持った顔を除いて!  公太はどこか臆病風に吹かれたような春繁の態度をあざ笑った。 (なあシゲよーーあれを見ろ、あれが現実なんだ。男も女も含めてだな、銀座にも浅草にもあれほどの美人はいねえ。オイ決めたぞ、俺はあれを手に入れる、あれこそ「一千万人に一人の顔」だ。男だのなんのと言って、みすみす大魚を逃す手はねえさーー)  こんな「恋」を何度見たことだろうーー、また、三日で飽きたと言うくせに。  そう思うことが、青春を通じて「美とは何か」を考えることを共有してきた初谷春繁の、公太の友として残された特権だった。彼は納得したような顔を作り、そっと公太の袖を放した。  入れ、と公太が厳めしい声音で呼ばわる声が響いた。美青年は「失礼します、」と言い、玄関で靴を脱いでアトリエにそっと入って来た。公太がその肩を抱くようにして日下真一郎を連れていった後、春繁はふと玄関口の方を見遣った。  そこに残された美青年の靴だけが、古びていて醜かった。 〇  寝てるの、と春繁はそっと背後から公太に尋ねた。  公太はしばらく病人の青い顔に視線を当てたまま、 「ああ、」  と呟き、美青年の顔の周りにちらつきだした羽虫を手で追った。
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