第1章

11/35
前へ
/35ページ
次へ
 白かった皮膚は今や紫色に見え、切れ長の目は落ち窪み、痩せて頬骨は突き出て、唇には殆ど血の気がなかった。  かつての大変な美貌は、もはや花の凋落のように色褪せていた。しかしこの花はどれほど公太に勝たせたことだろう。真一郎がモデルとなった絵で、世間で評判にならないものはなかった。  窓際に座って物思いに耽っている『顔』で銅賞を、女物の浴衣を着てショールを掛けた肩越しに半身で振り向いた『麗人』で銀賞を、そして「司葉公太は次に何を描くのか」という、無名の学生に対する世間からの期待というものを、美青年は公太に献上した。  春繁はこれまで、夢想家の公太が企てごとに友達を替えるのを見てきた。生まれながらの貴族である彼は、使用人を使うように他人の能力を貪ることに抵抗を感じないらしかった。春繁を純粋な貴族と認めていたかはさておき、彼の前では公太は気安く他人の批評をした。  しかし日下真一郎に対しては、ただの一言も批評めいたことを口にしたことがなかった。真一郎がまだ公太に金賞を取らせていないにも関わらず、まだ夢半ばにして結核という不治の病に倒れたにも関わらずーー、公太は一切不平めいたことを言わず、まるで彼の召使になったかのように献身した。  苦しいか、と病人を気遣って抱き起す様を、手ずから汗を拭ってやる様を、真一郎の方が暇を出してくれと懇願しても撥ねつける様を、誰もが司葉公太の見たことのない姿として目を疑った。「とうとう改心したんじゃないの、」と、公太の女友達の一人がつい漏らした。 「公は、さーー、」  と、春繁はその背後から言った。この頃は公太のみが病人を看護することに慣れており、彼のする作業に春繁が立ち入れないことの方が多かった。公太が食事の残り具合を調べている時も、春繁はその邪魔にならぬようそっと声を漏らすように話した。 「何ンだ、」  勘のいい軽薄才子は、病人が口にした食事の残り具合を確かめながら、既にその問いを遮るかのようにうろんげに返事した。 「惚れてるの、そのひとに」  小鉢の内側の目盛りを調べていた手がふと止まった。衣擦れの音がし、公太が振り向いた気配がした。  春繁は殆ど反射的に俯いていた。この時彼は、公太の眼に宿っている光を見ることが出来なかった。そんな臆病風に吹かれて、春繁は自分が傷つくことの出来ない貴族に生まれ変わってしまったことを全身にまざまざと感じた。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加