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料亭「山茶花」に出入りする芸者たちは、主人の息子である春繁が、優れた芸者のように耳が良いことをもっと単純に面白がった。
「誰でもシゲちゃんはちゃーんと分かるのよ、お耳がいいんだものねえ、」
「ねえおシゲちゃん、あたしのはこれでいいかい、」
「そっちの、」と、春繁は女にもらう落雁を口に入れながら、向かいで音締めをしていた芸者の三味線の方を軽くあごでしゃくった。
「お滝さんの方、三の糸が緩んでる」
「ねエホラ、」
「かなわないわねえシゲちゃんには、」
ふと、一人の少女が青い顔をして立ち上がった。そして縺れるような足取りで廊下へ出ると、そのまま厠の方へ倒れるように歩き去った。ちょっと断れば済むようなことを、いつも朋輩にも何にも言わないというので、お小夜というこの十六の少女は仲間内でも好かれていなかった。
「かまうことないんだよ、シゲちゃん、」
その背中を目で追っただけで、汚い物に触れたかのように芸者の鋭い声が飛んだ。彼女たちは春繁を愛してくれてはいたが、彼女らの嫌いな物に近づく権利は与えていなかった。
女たちの笑いが鎮まらないうちに、春繁は輪を抜けて厠へ行き、合図の通りに戸を叩いた。
厠の内側から、トトトン、という雨音のような音が聴こえて来た。
トン、と春繁は指先で戸を叩き返した。
それから彼は身を翻し、他の芸者たちに見られないように裏手から回り、花壇のある庭へと飛んでいった。他の芸者たちの知らないことだったが、こういう内緒の使いをすることが、春繁が人形遊びよりも三味線よりも好きな遊びだった。
やがて彼は息を切らして戻り、再び合図の通りに戸を叩いた。内側から閂を外す微かな音が響いた。開いた戸の隙間に、お小夜の白い顔が月のように浮かんでいた。
暗闇のなかで、お小夜は笑いを堪えたような変な顔をしていた。それから簪のように細い指で、春繁の差し出した紫陽花の葉を抜き取ると、再び厠の奥へと引っ込んだ。
戸が閉まった途端、落雷のように激しい咳の声が響いた。ぺっ、ぺっと唾を吐き出す音が続いた後、再びシンとした静寂が広がった。
彼は縋るようにその汚い戸に耳を付けた。
三寸先の暗闇で、お小夜が口いっぱいに青葉を頬張り、むしゃむしゃと咀嚼する音を、春繁は彼にしか分からない震えを伴いつつ耳から菓子を食うようにうっとりと聴いた。
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