第1章

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 その奇妙な龍の簪は、どうも公太の言う「可愛くない」真一郎と似ている気がした。精巧でそっけなく、自然物に見られない仄かな権高さがあり、金箔を貼られた芯は大層脆そうに見えるくせに針の如く鋭い先端を持ち、うかつに手に取る他人を優しく傷つけたものだった。  真一郎は春繁の記憶にあれほど強い爪痕を残しておきながら、思い返すうちにその像の特殊さから人間らしい印象が薄れ、次第に掛け軸のなかの美人のような幻として完成していくように思われた。まさか幽霊だったとは思わないまでも、日下真一郎という実在の一青年に対し、公太を初めとして皆が催眠にかかって「真一郎」という麗人を妄想していたのではないかとも思われた。 (あーあ、これも)  と、春繁は箪笥のなかに夥しく眠る、とうとう真一郎が着ることのなかった着物の山を見つけた。どうやら公太は、あの時床に広げていた布全てを使い、真一郎のために着物を仕立てていたらしかった。桜に梅に遠州椿といった春の花の刺繍が、引き出しのなかで日差しを浴びて膨らんだように見えた。 (売ることも捨てることも出来ないだろうし……、どうするんだろう、こんな女物)  春繁は、そのふっくらとした着物の生地の間に、灰色の雑誌のような物が挟まっているのを見た。片付けをしている間に、自分がつ置き忘れでもしたのかと思って引き出すと、スケッチブックだった。  アトリエにスケッチブック自体は珍しいものでなく、公太は自分で片付けなどしなかったからあちこちにこんな物があった。いつ頃のだろう、と思って春繁がページを開くと、鉛筆で描かれた公太自身の黒々とした横顔が現れた。  それは明らかに、最後までデッサンが下手だった公太の描いたものではなかった。その正確で鋭い模写の線を見て、頭で理解するより先に、春繁はページをめくる自分の手が速くなったことに気がついた。 (あの人だ) 『先生、服着たいですか』  と言い、盛夏に汗みずくの公太を縁側に座らせてスケッチをした真一郎の声が、鉛筆の筆跡の黒さほどの鮮やかさで、ふいに春繁の脳裏に蘇った。 『なんだ裸でいいなら脱いじまわア』 『そんなことされたら僕が困ります』
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