第1章

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 真っ青な顔で俯いている春繁に向かって、彼は磊落に肩を叩き、二人にだけ聴こえるように低めた声で、 「何ンだシゲよう、お前さんが見てたのは女じゃなくて着物の柄か」  と笑いながら言った。  それは実に見事な斬撃だった。いつから見抜いていたのか、あるいはその雑誌を見つけて決定的だと思ったものか、司葉公太は春繁の趣味を見抜きつつも、人前に晒すことなく彼にのみ囁いて去った。  春繁がこの風変わりな金持ちの子息を、「友」と認めたのはこの瞬間からだった。  オイ大丈夫かと、公太がその背中をさすった。  春繁は自分でもなぜ吐いてしまったのか分からなかった。ただ急激に汗をふき出し、眩暈がしたのは浅草でレヴューを見てからだった。 「何もストリップを見せたわけじゃねえしよう……、それでもお前さんには、刺激が強すぎたか、」 「ちがう」  と、春繁は地面に吐きながら、傲然と顔を上げた。彼自身、己がこれほど明瞭な声音で喋ることに内心やや驚きながら喋った。 「ちがうんだ、バックバンドの音楽が、」 「おんがくがぁ?」  春繁は口の端に吐瀉物をつけながら頷いた。 「一人だけ、テンポが揃ってない人がいる」  公太は伸び放題の髪をくしゃくしゃと丸め、それから春繁の顔に手を伸ばした。「お前サンよう??、俺のほかに友達一人もいねえっつってただろ、そいつは嘘か誠か、」 「痛いよ、抓らないで」 「何だ本当のこと言ってるような顔しやがって、」 「本当のことだもの、ボクはきみの他に友達なんか」 「……仕方ねえ、お前さんの耳が本物ってことだな、他の客の前で言うなよ、今日はまだ上出来な方だ」  そう言って公太は春繁の両耳からそっと手を放した。  春繁は俯きながら「……耳がいいのかもしれない、」と呟いた。  離れた場所で煙草に火を点けていた公太が振り返った。 「何ンだお前さん、そこまで聴き分けといて自覚はなかったってのか」 「だって別に音楽に詳しいわけじゃないからーー、子供の頃、三味線の音はよく聴いてて、『耳がいい』って褒められたことならーー、」 「三味線のお師匠にかい、」 「ボクは習っちゃいない」 「芸者か」 「……」  春繁は少し習慣的に黙り込んだ後、「家族みたいなものだった、」と言い、それからふっつりと黙った。公太は明後日の方角に向かってフーッと煙草を吹き出した。 「何ンだ『山茶花』の息子がいるって聞いてちったあ話せると思ったのにようーー」
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