水と一緒に温めて

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 一人暮らしと入浴。  それがかけ離れたものだと気づいたのは、大学で一人暮らしデビューを果たしてから初めて、正月に帰省した時のことだった。 「お風呂入る?」  家事からの解放感と親の鬱陶しさと少しの有難味を感じながらこたつでウトウトしていると、母親がそう言った。  まだ六時だというのに外は暗く、洗面所は冷えていた。俺は服を脱ぎ捨てて風呂場へ飛び込んだ。  立ち込めた湯気が視界を覆って、意外にもぬくい空間。蓋を開けたまま湯を張っていたのか。冷めると怒るくせにと思いながら、シャワーを浴びて素直に湯船につかる。  じんわりと手足の先が熱に痺れて、ほう、と俺は息を吐いた。  身体についた小さな気泡を戯れになぞると、群れになってすうと上って消えていく。何度かそれを繰り返してようやく、そういえば数えるほどしかアパートの浴槽を使っていなかったことに思い至った。  さて入ろうと腰をあげてからお湯を溜めることを思い出し、どうとも仕様がない時間を待つ。狭い浴槽で膝を畳んで、くつろげる体勢を見つけながらお湯に沈む。慣れない勝手で温度調節が上手くいかなかったお湯は、冷めるのも早い。  洗い場で体を拭きながら栓を抜いて、ずるずるとお湯が排水口に吸い込まれていく(さま)に、若干の罪悪感を覚えた。  それが初めて一人でこなした、入浴の記憶。  苦戦した掃除も加担して、どうにもそれ以降、積極的にお風呂に入ろうという気が起こらなかった。  ぱちゃりと足でお湯を蹴って、あまり嬉しくない思い出を頭から追い出す。  頭を浴槽に預けてみると、天井は変わらずクリーム色だった。  掃除、してんだよな。毎日。  浴槽、洗い場、排水溝。カビが生えるからと水滴がついた天井を拭いて、時折蛇口やカウンター、風呂椅子に風呂桶。  年数分の傷みは増えても、実家の風呂はいつも綺麗だ。   綺麗なお湯がたっぷり入った、あったかいお風呂。  こっそりおもちゃを持ち込んだり、泡だらけにして怒られたり、沁みた傷口に顔をしかめたり、膝を抱えて泣いたり、喜びをかみしめたり。  色々やってんなあ。  次々と湧き出る思い出に、はは、と笑いが込み上げた。  それから俺にとって入浴という行為は、どこか特別な意味を持つようになった。  嫌なことがあった日、良いことがあった日、疲れた日、ただただぼうっとしたい日。
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