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調理師の人が鯖を盛り付ける前にもう一度温め直してくれた。礼を言ってお盆を持って席に座る。箸を割って湯気が立っている鯖をほぐして口に入れた。その瞬間、私は驚いた。鯖は好きな魚だから美味しいと感じるのは当たり前だが、本来社員食堂の鯖などは冷凍の鯖のフィーレのはずで品質も良くない。だが、この鯖はそれとは思えなかった。身がふっくらとして油が乗っていて、味噌の味に馴染んでいる。その為、濃厚で豊かな旨味が感じられた。それに、味噌も複雑な味をしていた。多分、この味噌は赤味噌だろうと推測した。それは母の作った「鯖味噌煮」の味噌の味をおもいださせた。母のと同じように、僅かに柑橘の香りもすれば、味醂の風味も感じる。食べながら私は母の事を思い出していた。そして、この味付けをした人を知りたくなった。
食べ終わると食堂の責任者の主任に
「今日の『鯖の味噌煮』は誰が作ったのですか?」
そう言って尋ねた。主任は私の質問に不思議そうな顔をしながらも
「ああ、先週から配属された彼だよ」
食堂の隅で、調理の仲間と一緒に食事をしてる若い人を指差した。
その人は調理の仲間たちと談笑しながら食事をしていた。少し背が高く、穏やかな表情をした人で、食べ終わって食器を返す時を狙って近づいた。
「あの、ちょっと良いですか?」
いきなり声を掛けられたので、彼は驚いて一瞬身構えたが
「はい、栄養士さん何ですか? 何か問題でもありましたか?」
そんな返事が返って来た。無理もない。この場で、栄養士の私から調理師の彼に声を掛けるという事は普通なら仕事関係の事と思う。
「いえ、違うんです。今日の『鯖の味噌煮』の味付けについてなんです」
私の言い方が仕事モードだったのか
「味が不評でしたか?」
そんな風に思い込んでしまったようだった。
「いえ、そうじゃないんです。個人的に訊きたい事があるのです」
個人的な事と聴いて彼の表情が和らいだ。
「なら食器返してからで良いですか?」
「あ、どうぞ、途中で止まらせてすみません」
私が半歩下がると彼はカウンターの棚に食器を返した。
「そこに座りましょうか」
彼が指差した食堂のテーブルに腰掛けた。向かい合いで座ると
「で、鯖の味付けで何が訊きたいのですか?」
彼はテーブルの真中に置かれた急須から二つの湯呑みにお茶を注ぐと片方を自分で、もう片方を私に差し出した。
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