すべての寂しい夜のために

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 「別れの曲」はショパンの幾つかあるピアノの名曲の中の一つである。哀切な旋律で始まるが、これは葬送の曲ではない。あくまでも別離の曲なのだ。恋人との別れの曲だといわれている。それをいえば、彼にとっては”葬送”になるのかもしれないが。  その曲を、あの東丈は箱根のホテルで自分に聞かせたのだ。”何故”と問うことも出来ないままに。そして、翌朝、彼はそのホテルから忽然と姿を消した。  吉祥寺の家に戻ったわけでもない。そのまま、愛する家族にさえ一言も告げぬままに、行方不明になったのである。  それから、いったい何日過ぎたのだろうか。だから、それ以来、彼女の胸のうちでは、彼へのその謎が消えることは無かった。  ”なぜ、その曲を、東丈はわたし、井沢郁江に聞かせたのか”と。  彼は、その曲をよどみなく弾いて見せた、素人・高校生の彼が趣味でするには難しい、難易度の高い曲であった。 「僕は、手が広く無くてね。だからピアノ演奏者になることをあきらめたんだ」小柄な東丈は、手のひらも小さくて、ピアノのオクターブ和音が弾けないことを自嘲的に言ったものだ。ピアノを弾くようになったのは、新らし物好きだという彼の父の影響があったのか、それとも厳しい母親の影響があったのかは明らかではないままに。  ただ、あのホテルで彼の前で、ロビーにあった、おそらく結婚式とかで演奏するために用意されたピアノを弾いたのだ。  あの日の夜、あのホテルのあの棟は郁江たちGENKENの貸切に成っていた。まあ、あの場所でセミナーをやっていたのだから、一般客を交えては、なかなかにややこしい話になっていたに違いない。何しろ、表向きは慰労会も含んだ学生達の合宿ということだったが、その実、超能力開発セミナーという、恐るべき陰謀があったからだ。そんなものを一般市民の目の前で堂々とやるわけには行かないではないか。一応、秘密裏にやることにしていたが、どこかでそれをかぎつけた鮫島という、あまりたちの良くないトップ屋が紛れ込んでいたのだが。  しかし、どうして自分に、井沢郁江にあの曲をひいて聞かせたのか、解らない。  何故だ、何故なのだ。そして、彼は彼女達の前から忽然と姿を消した。あの日、セミナーの会場で、東丈の弾く"別れの曲"を耳にした人間は多かった。しかし、彼の弾く”姿”を見たのは、なぜか彼女だけだったのだ。
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