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「お疲れさまです」 「お疲れ。気をつけて」 「はーい」  学生アルバイトの久保を先に見送って、パソコンの勤怠画面で退出時刻をチェックする。女性店員の「いらっしゃいませ、おはようございまーす」をぼんやり聴きながら立ち上がると、ワイシャツの上に制服を羽織りながらオーナーが入って来た。 「おはよ」 「あ、おはようございます」  慧斗の返事に頷いてから、事務用机の上の書類をめくり上げながら口を開く。 「ケイトさあ」 「……あ、はい」  伝票の控えに何か不備があるのだろうかと不審に思ったが、続いたのは動作とは関係のない言葉だった。 「そろそろうちの子になんない?」 「はい?」 「社員にならない、いいかげん」 「その話っすか……」  彼はどうしてかこの古株店員を気にかけてくれていて、ここ一年くらいだろうか、思い出したように口説いてくる。責任と無責任を天秤に掛けて、慧斗はいつもこの申し入れをうやむやにしていた。 「ちょっと、考えさせてもらっていいですか?」  いつも通りそう言って、即答を避ける。 「ちょっとって、どれくらいよ」 「や、二、三日でいいんで……」  あー、とか、うーん、とか、どうせ曖昧で気のない返事しか期待していなかったのだろう。慧斗の答えを受けて、オーナーが意外そうに片眉を上げた。 「お?」 「……なんですか」  別にい、と、被雇用者の口癖をオーヴァーに真似て、剃刀を丁寧に当てた顎を撫でる。 「こっちとしては、ケイトに本腰入れてもらえるとほんと助かるよ。いい返事を待ってます」 「はあ」  あまりの買かぶりと、うざったいとすら思っていた厚意。  そのどちらをもあまりプレッシャーに感じなくなったのは、つい最近だ。
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