949人が本棚に入れています
本棚に追加
/61ページ
10
「お疲れさまです」
「お疲れ。気をつけて」
「はーい」
学生アルバイトの久保を先に見送って、パソコンの勤怠画面で退出時刻をチェックする。女性店員の「いらっしゃいませ、おはようございまーす」をぼんやり聴きながら立ち上がると、ワイシャツの上に制服を羽織りながらオーナーが入って来た。
「おはよ」
「あ、おはようございます」
慧斗の返事に頷いてから、事務用机の上の書類をめくり上げながら口を開く。
「ケイトさあ」
「……あ、はい」
伝票の控えに何か不備があるのだろうかと不審に思ったが、続いたのは動作とは関係のない言葉だった。
「そろそろうちの子になんない?」
「はい?」
「社員にならない、いいかげん」
「その話っすか……」
彼はどうしてかこの古株店員を気にかけてくれていて、ここ一年くらいだろうか、思い出したように口説いてくる。責任と無責任を天秤に掛けて、慧斗はいつもこの申し入れをうやむやにしていた。
「ちょっと、考えさせてもらっていいですか?」
いつも通りそう言って、即答を避ける。
「ちょっとって、どれくらいよ」
「や、二、三日でいいんで……」
あー、とか、うーん、とか、どうせ曖昧で気のない返事しか期待していなかったのだろう。慧斗の答えを受けて、オーナーが意外そうに片眉を上げた。
「お?」
「……なんですか」
別にい、と、被雇用者の口癖をオーヴァーに真似て、剃刀を丁寧に当てた顎を撫でる。
「こっちとしては、ケイトに本腰入れてもらえるとほんと助かるよ。いい返事を待ってます」
「はあ」
あまりの買かぶりと、うざったいとすら思っていた厚意。
そのどちらをもあまりプレッシャーに感じなくなったのは、つい最近だ。
最初のコメントを投稿しよう!