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「腹減ったあ」
慧斗がうとうとし始めたのを察したように、のんびりした声が上がる。つけっぱなしのパソコンが、正午七分前を知らせていた。
「……冷凍庫に、廃棄のおにぎりならありますよ」
ごろりと寝返りを打ってキッチンの方向を指差すと、憐れむような、咎めるような目線を寄越される。
「そんなんばっか食ってるから、がりがりなんだね中村くん」
「乾さんに言われたくない……」
思わず出た反論に破顔した乾が、きっと何時間か前から決めていたのに違いない、迷いなく宣言する。
「よし、うなぎ食いに行こう」
「……土用の丑の日だから?」
「お、さすが」
「や、だって、土用の丑の日に合わせて、蒲焼の特注とかやるんで」
狼狽えて弁解するのをまたふふふと笑われて恥ずかしくなり、俯いて、睨みつけた。
「乾さん、ベタですね」
「そうさあ」
楽しそうに肩を揺らした乾がベッドに向き直り、縁からだらりと降ろした慧斗の右手を恭しく持ち上げる。
「どうですか。まだ痛い?」
「全然……もう、だいじょぶ」
右手の中指の付け根より少し下、ちょうど手の甲の中心くらいの位置にできた、小さな青痣。消えかけの薄ら青いうっ血を、長い長い人差し指が軽く撫でる。
その青痣に唇が寄せられるのを、細めた目の隙間から見た。肌のきめや関節の位置を確かめるような、乾いた唇の動きを追う。
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