49人が本棚に入れています
本棚に追加
数時間前のざわめきが、嘘のように静まり返った教室。窓の外は、しとしとと冷たい雨が降り続いている。
窓際に立ち、少し開いていた窓を閉めると、大げさなため息とふざけたような声が背中に聞こえた。
「なーんでだよぉ、香子ちゃん。俺、今日、高校卒業したんですけどー」
一年間使った教室の、最後の点検に来た私。生徒はもう、一人残らず帰ったはずだと思っていた。それなのに――。
窓の鍵をきちんと閉め、私はゆっくりと振り返る。
机に腰かけ、そばにある椅子をガタガタと蹴飛ばしている生徒は、藤野直斗。この教室で私が受け持っていた生徒だ。
「藤野くん。ふざけてないで、早く家に帰りなさい。それから椅子は蹴飛ばさない」
私はそう言うと、机の上に無造作に置かれている筒を手に取り、彼の胸元に押し付ける。
「大事な卒業証書。忘れないでね」
足を止めた彼が、むすっとした顔でそれを受け取る。私は表情を変えないまま、そっと視線をはずす。
雨の雫が流れる窓の外に、桜の木が見えた。この学校で一番大きなその木に、まだ花は咲いていない。
最初のコメントを投稿しよう!