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雨の中、寒さをこらえるように立つ桜の木。あの桜が満開になるのはいつだろう。
学校中で、桜が一番綺麗に見えるのは、私たちのこの教室だった。そして次に桜を見る頃、彼はもうここにはいない。
「さよなら」
顔を上げて前を向く。目の前に立つ彼は、何も言わずにうつむいている。
そんな彼を追い越すように、もう一度足を踏み出したとき――彼の伸ばした手が、私の体を窓に押し付けた。
「ふっ……藤野くん?」
名前を呼んで視線を上げたら、いつになく真剣な顔つきの彼の顔が、すぐ近くに見えた。
「……忘れなかったら?」
彼の声は少しかすれていた。
「東京行っても忘れなかったら?」
「え……」
「四年経っても忘れなかったら……香子、俺と付き合って」
背中に当たるガラス窓が冷たい。私の脇に置かれた、卒業証書を持つ彼の手が、かすかに震えている。
彼は私に顔を近づけ、耳元でささやくようにこう言った。
「四年後。桜が満開になったら……あの木の下で待ってる」
カタンと机に何かが当たる音がした。教室を出て行く彼の背中。私はガラス窓に体を預けたまま、ただその姿を見送る。
――四年後。あの木の下で待ってる。
ありえない。そんなの。絶対ありえない。
「あ……」
そばにあった机の上に手を伸ばす。彼の卒業証書の入った筒が、そこに置かれている。
「忘れるに……決まってる」
筒を手に取り、それを胸に抱きしめた。
私の気持ちをこんなにかき乱して。そんな台詞を残していくなんて……ずるい。
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