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「仕事はまたいつだってできるもの。今はお母さんのそばにいたいの。早く元気になって。そうしたらまた、私も学校に戻るから」
「香子……」
母が目を潤ませながら、私に微笑む。
「でもね、あんたはすぐ我慢する子だから。たまには自分の気持ちに素直になってもいいのよ?」
自分の気持ちに素直に……?
ぼんやりと立ちつくす私の脇を、高校の制服を着た生徒と母親が通り過ぎた。
ああ、そうか。今日は入学式だったんだ。
晴れやかな顔つきの親子を見送りながら、教師として過ごした学校生活を思い出す。
「そろそろ帰りましょう。少し疲れたわ」
「うん……」
母と一緒に歩き始める。はらりと肩に落ちる一枚の花びら。
忘れよう忘れようと思っていた声が、風に乗って聞こえてくる。
――四年後。桜が満開になったら……あの木の下で待ってる。
まさか。ありえない。そんなことは絶対ありえない。
「香子? どうしたの?」
母の心配そうな声で気がついた。
私は桜の木の下で立ち止まり、涙をこぼしていた。
「お母さん、私……忘れ物を届けに行かなきゃ……」
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