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【8】約束
「涼ちゃん、どうしたの?
俺達に気付かなかった?」
華井は賀川を見ることすらしない。
「涼ちゃんホントにどうしたの?
何かあった?」
朔宮にも同様だった。
黙ったままの華井は、教材をバッグにしまうと、そのまま立ち上がった。
宇佐見は土曜日の華井との違いに、声も出なかった。
華井はそのまま誰一人見ることも無く、教室を後にした。
華井の態度はそれからも徹底していた。
賀川や朔宮は諦めること無く、華井に話しかける。
華井はまるで聞こえていないかのように振る舞う。
朝に会って挨拶をしても、チラリと見ると深々と頭を下げる。
それは無視されるより、賀川や朔宮には堪えた。
同級生に挨拶されて無言で深々と頭を下げるなんて、普通では考えられない、慇懃無礼な態度だった。
宇佐見はそんな態度の華井に、近付くことすら出来なかった。
もし自分がそんな態度を取られたら…立ち直れない…そんな気持ちで一杯だった。
それでも宇佐見はバイト先で、華井に会わなければならない。
宇佐見は華井の態度が豹変した日から初めてのバイトの日は、緊張で胃が痛くなる程だった。
だが、仕事中の華井は宇佐見に笑顔を絶やさず、宇佐見が困った様子を見せると先回りしてフォローしてくれた。
宇佐見が遠慮から華井に質問出来ないでいると、必ず自分から「どうしたの?」と声も掛けてくれた。
ニコニコ笑って宇佐見の質問に答える華井は、以前の華井に戻ったかの様な錯覚を起こさせた。
だがそんな幸せな錯覚も、ロッカーで二人きりになると、一気に現実に戻る。
まだ他に人がいる時は良い。
華井は仕事中のように、宇佐見に笑顔でお疲れ様と言い、同僚や宇佐見を交えて冗談も言う。
それが二人きりになると一変する。
辛うじて挨拶はする。
しかし何の抑揚も無い義務的な挨拶だった。
そして何も話さない。
まるで宇佐見がそこに存在していないかのように振る舞った。
そんな態度が一週間も続くと、さすがに賀川や朔宮も華井に声を掛けるのを止めた。
華井は宇佐見達と親しくなる前の華井に、完全に戻ってしまった。
ひとり飄々と満足そうにキャンパスを歩いていた。
華井は見た目が変わったせいか、以前より声を掛けられることが多い。
その度に露骨に嫌そうな態度を取る。
相手が怒ろうが悲しもうがお構い無しだ。
当然反感も買う。
だが華井は氷のような冷たい態度を崩さない。
四人はそんな華井をハラハラして心配しながらも、見ていることしか出来なかった。
そうして半月が過ぎた。
「俺達…涼ちゃんを怒らせるようなこと、何したんだろう…」
賀川は何度目かの疑問をまた口にした。
「賀川さん、何度も言ってるでしょ?
レポート作成の日も翌日提出した日も涼ちゃんはあんなに楽しそうだった。
あれが本当の涼ちゃんなんですよ。
土日に何かあったとしか思えません」
土曜日の涼…
俺のリクエストに応えてピアノを弾いてくれて
一緒に帰ろうって言ってくれて
俺のお茶したいって言うワガママも受け入れてくれた…
そして、『涼』って呼んでいいよと笑って言ってくれた…
それから俺のピアノを聴きたいと強請った…
宇佐見はここ数日考え続けていたことが、また頭を過ぎった。
「俺の絵も全然見に来なくなっちゃってさ…。
何か変身前の涼くんより酷くなった感じなんだよな~」
赤坂はソファに身を預けるとため息を吐いた。
「…でも…俺達といると居心地が良いって、楽しいって、あの金曜日の朝ハッキリ言ってた…」
「…宇佐見…」
赤坂が宇佐見の肩に手を置く。
「…俺、こんな中途半端な状態耐えられない。
俺達が悪いのなら悪いって、涼の口から聞きたい…。
そうすれば諦められる」
賀川が力強く頷く。
「うん!そうだよ!
純くんの言う通り!
涼ちゃんに話しして貰おうよ!
それで俺達が悪かったら謝る!
許してくれなかったら…その時はキッパリ諦める!」
「そうと決まれば適任者は一人しかいませんね」
朔宮はにっこり笑って言った。
三人の視線が赤坂に集まる。
赤坂はふにゃっと笑って、「やりますか~」と言った。
華井はその日、講義も全て終わり、校内のベンチにひとり座ってキャラメルラテを飲んでいた。
すると、すっと同じベンチに座った人がいたので、立ち上がって去ろうとした。
「涼くん」
その人は静かな声で言った。
華井は思わず立ち止まった。
その人は華井の態度が豹変しても、華井に話し掛けるでも無く、いつも静かに微笑んでいるだけだった。
「涼くんがどんな態度を取ろうが涼くんの自由だ。
でも涼くんはある人達を傷付けてる。
踏み付けてる。
なぜそんな態度を取るのか説明する義務があると、俺は思う。
説明するだけで、その人達は救われるんだよ。
涼くんだって賀川ちゃんのレポートを完成した日のこと…忘れて無いだろう?」
「…悟くん…」
華井は振り返った。
赤坂は華井の瞳に苦悩の色が滲むのを見た。
「行こう。みんな待ってるよ」
華井は頷いた。
華井が赤坂と一緒に宇佐見のマンションに現れると、真っ先に飛び出して来たのは賀川だった。
華井の姿を見つけると、赤坂を押しのけ華井に抱きついた。
「涼ちゃん!俺…俺…」
賀川はそれだけ言うと泣き出した。
華井は賀川を抱き返すと、「…雅也ごめんな」と言った。
四人が並んで座る前に、テーブルを挟んで華井がひとりで座った。
華井はポツリポツリと話し出した。
「俺…みんなといると居心地良くて、楽しかった。
でもこんな気持ちになるの初めてで戸惑ってた。
でも純くんが『つまんない知り合いより、楽しい知り合いの方がいいだろ』って言ってくれて、素直にそうだなって思えた」
宇佐見は弾かれたように華井を見た。
涼に俺の言葉は届いてたんだ…
「でもみんなと一緒にいて、お前達が大学で生徒達みんなから憧れられてるって知った。
それで俺は少し不安だった。
お前達といたら目立つんじゃないかなって…。
だからレポートが仕上がった週の日曜日に、兄貴と話してた時、そのことを言った。
そうしたら兄貴は、目立つヤツらと一緒にいたら、目立つのは当然だって言った。
俺が本気で目立ちたく無いなら…離れた方が良いって言ったんだ…」
そこで華井は俯いた。
誰も何も言わなかった。
「でも俺は…本当は今まで通りの付き合いがしたかった。
でも…無理だから…徹底的に離れよう、元の自分に戻って、またひとりになろうって決めた。
俺達が知り合いになって日も浅いし、みんな俺のことなんてすぐに忘れるって思ってた。
まさか…傷付けてるなんて思わなかったんだ。
ごめん」
沈黙を破ったのは朔宮だった。
「涼ちゃん…何でそんなに目立ちたくないの?」
華井は膝の上で、ぎゅっと拳を握った。
「俺…中・高付属の男子校で…見た目がこんなだろ?
勘違いされて告白されたり、追い回されたり色々あって…兄貴が凄く心配して。
でも高校じゃもう顔は知られてる。
だから大学に行ったら目立たないように生活したかったんだ」
「…大学に行ったら目立たないようにって、それもお兄さんの希望なんですよね?
俺達と離れろって言うくらいなんですから」
華井は頷いた。
朔宮は素早く賀川と宇佐見と赤坂に目配せした。
「分かりましたー!
じゃあ、今!この瞬間から元通りでいいですよね~!」
朔宮の明るい宣言に華井は呆気に取られた。
「…え…でも…」
「涼ちゃんはね、勘違いしてるの!
俺達は少しは憧れられてるかも知れないけど、目立つ程じゃ無いの!
涼ちゃん大学内に疎いでしょ?
それにさ~俺達と居て、涼ちゃん困ったことあった?」
賀川に言われて華井は唇に指を当てて考える。
「助かったことは沢山あったけど…困ったことは無いかな?」
「でしょー!?」
賀川はニコニコして言った。
「そうだよ、涼。
お兄さんに、あいつら思った程目立たないヤツらだったーって笑って言えば?」
宇佐見もにっこり笑って言う。
「まぁ…それが事実ならそう言うしかないよな…」
「はい~これにて一件落着!
じゃあ涼くんには勘違いしてた罰として、賀川ちゃんのお礼の磯焼きをみんなで食いに行った後、お泊まりしてもらいま~す」
赤坂の間延びした声に、宇佐見と朔宮と賀川が笑う。
華井も思わず笑ってしまった。
「それが罰なの?
俺めっちゃ得してない?」
「いーの!
これが涼ちゃんの罰!
決行は今週!
じゃあ日にち決めるよ~!」
賀川の気合いが入った言葉に、全員が一斉にスケジュールを確認し出した。
食事に行く日は金曜日に決まった。
華井と宇佐見は土曜日にバイトがあったが、夜からだし差し支え無いと思いOKした。
宇佐見はまだ誰にも華井とバイト先が一緒だと話していなかった。
華井は特に話す必要も無いと思っているらしく、話す様子は全く無かった。
華井は今夜は早く帰らないといけないからと言って、日にちが決まると帰って行った。
華井が居なくなると、早速朔宮が口を開いた。
「涼ちゃんとお兄さんの関係、なんか変じゃないですか?」
「俺もそう思う。
あの年になって毎晩お兄さんの腕枕で寝てるっていうのも驚いたけど、修学旅行まで涼が興味無いって言ったら、お兄さんが行かなくても良いって言ったからって行かなかったんだぜ?」
「えー純くんマジで!?」
賀川が驚きの声を上げる。
「それに目立たないようにって、何でそんなに気にするんですか?
普通涼ちゃんみたいな弟がいたら自慢ですよね?
それに涼ちゃんだってお兄さんに従うのが当然みたいだし…」
「案外、涼くんが友達いらないって思い込んでるのも、お兄さんが関係してるのかもな」
赤坂の言葉に、三人が揃って赤坂を見る。
「でも家族のことだから、他人の俺達は口出し出来ない。
せめて大学で涼くんが楽しく過ごせるように、俺達が仲良くしちゃえばいい。
その内、自然に友達って良いなって気付くさ」
翌日登校して来た華井は、四人の元にやって来ると、照れ臭そうに「おはよう」と一言言った。
そうしてまた五人一緒に講義を受けた。
宇佐見は何となく、華井の具合が悪そうに見えた。
いつも講義中は講義に集中しているのに、今日はノートもダルそうに取り、頬杖を付いて辛うじて身体を支えているみたいだった。
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