【13】嘘

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【13】嘘

華井はバイト先に着いても、「店長の気が変わると嫌だから」と言って、ピアニストの女性がいくら誘っても、ピアノに近寄ろうとすらしなかった。 宇佐見と一緒に開店前の準備に励んでいた。 店が開店すると、いつものように土曜日は忙しい。 宇佐見は仕事に追われて、華井を気にする余裕も無かった。 その内ひとりの男が、ピアノの演奏が終わると、何度かピアニストの女性と楽しそうに話しているのに気が付いた。 その男は宇佐見より少し背が高く、宇佐見程では無いが、肩幅も有り胸板も厚い身体つきをしていた。 宇佐見は何かスポーツをやってるなと直感した。 そして偶然に近くを通って顔を見た時に驚いた。 ハーフのように派手で整った顔をしていた。 宇佐見も他人から良く容姿を誉められる。 それこそハーフみたい、芸能人になれば良いのにとすら言われる。 その男は自分とは正反対の印象だったが、それでも美形に変わりは無かった。 何となく目について、それから何回かその男に目をやると、その男はボックス席で数名の友人らしき仲間と遊びに来ているらしかった。 それにピアニストとも初対面とは思えない親しげな様子で談笑していた。 常連かな? 初めて見たけど… 宇佐見はそれだけ思うと、また仕事に集中した。 バイトが終了時間に近付く頃、華井がカウンターの客席側に座っていて宇佐見は驚いた。 ボーイは基本的に客席に座ることは絶対無い。 華井はひとりの客と並んで座り、カウンター越しに立つ店長と楽しそうに喋っている。 その客があの男だった。 宇佐見は近くにいたバイト仲間に、「あれ誰?華井くんも何してんの?」と小声で訊いた。 バイト仲間は、「あ~あの人ね。華井くんのお兄さん。店長と友達みたいでさ、たまにしか来ないけど、来ると必ずああやって三人で喋ってんの。店長、華井くんに甘いからな~」と言って笑った。 「お兄さんの名前知ってる?」 宇佐見の質問に、相手はうーんと考えて、「確か…前川?前野?とか言ってたけど、何で?」と不思議そうに宇佐見を見た。 「華井くんと名字が違うよね?」 「ああ、それね」 相手は何でも無いように言った。 「華井くんちって複雑らしいよ? あの人は義理のお兄さんなんだって」 ロッカーで会った華井は機嫌が良かった。 宇佐見に明るく、「お疲れ!」と言いながら手早く着替えていた。 「涼、今夜お兄さん来てただろ?」 宇佐見の問い掛けに華井は屈託無く答える。 「うん」 「お兄さん、義理のお兄さんなのか?」 「そう。俺達血は繋がって無い」 「でも二人暮らししてるんだよな?」 華井はキョトンとして宇佐見に振り返った。 「そうだよ」 それが当然で、ごく普通のことを何故訊くのかと言いたげだった。 「何で二人暮らししてるの?」 「兄貴がそうしようって言ったから」 華井はニコッと笑って言った。 「これから一緒に帰るんだ?」 「帰んない。 兄貴の友達が酒飲んでただろ? 兄貴は酒が入った友達と俺が一緒に居るの嫌がるから」 「…じゃあ…俺は?」 宇佐見は華井の両肩を掴んだ。 「涼に昨夜したこと、お兄さんが知ったら…どうする?」 華井は宇佐見をじっと見上げて言った。 「純くんに絶対何かするだろうな」 「俺が抵抗したら?」 華井はフッと笑った。 「俺が自分からあそこまで許したのは…純くん…純くんが初めてだから」 「…え…」 「今まで色んなヤツに追い回された。 でも俺は全部拒否してきた。 受け入れられるヤツなんて居なかった。 でも、純くんは違う。 何でだろう…」 「…涼…」 「だから兄貴が知ったら、きっと今までみたいな怒りじゃ済まないってこと!」 華井が笑って宇佐見の腕から逃れようとするのを、宇佐見が抱き寄せる。 「何でお兄さんが怒るんだよ?」 「何でって…」 「お兄さんが涼を独占するの、おかしいだろ?」 「おかしい?」 「そうだよ。お兄さんはお兄さんで恋人じゃ無い」 華井は宇佐見からちょっと身体を離すと、宇佐見の目を見て言った。 「当たり前だ。 兄貴は恋人なんかよりもっと大切な人間なんだから。 純くん、何度言ったら分かるんだよ? 俺は誰とも付き合わない」 「…嘘だ」 「純くん?」 「涼は誰かとセックスしてる。 付き合ってるんだろ? 俺を受け入れたのが初めてなんて、白々しい嘘吐くなよ」 華井の瞳が大きく見開かれる。 「…嘘なんか…吐いてない…」 「俺は別に気にしない。 涼をそいつから奪えばいいだけのことだから。 でも嘘は嫌だ」 華井の震える手が宇佐見の制服の襟を掴んだ。 宇佐見は殴られると覚悟した。 だが宇佐見の予想に反して、華井は宇佐見の襟を掴んだまま、大粒の涙を零し出した。 「…涼?」 「…もう、いい!」 華井は宇佐見の襟を乱暴に離すと、そのまましゃがみ込んだ。 「ちょっと、涼、どうした?」 宇佐見が慌てて華井を抱き起こす。 「お前なんか…嫌いだ!」 「…え…」 「俺は嘘なんて吐いてない! お、お前を…受け入れたのが初めてだって…ほ、本当なのに…! もう…俺に…触るな! あっち行け!」 あっち行けって… 小学生みたい… 宇佐見は肩を震わせ、わんわん声を上げて泣く華井をぎゅっと抱きしめた。 「ごめん…。 涼のこと信じるから…。 もう泣くなよ」 華井の涙が宇佐見の制服のシャツを濡らす。 「あー!宇佐見が華井くん泣かしてるー!」 「マジかよ~!?」 二人を冷やかす声がロッカーに響く。 それでも宇佐見は華井が泣き止むまで、しっかりと胸に抱いていた。 泣き止んだ華井の第一声は、「疲れた。甘い物が食べたい」だった。 余りに華井らしくて宇佐見は笑った。 駅前とは反対方向に少し行った所にあるファミレスに二人は向かった。 華井は目の縁も瞳も真っ赤で、鼻まで赤かったので、泣いた後だというのが兄貴にバレるとしきりに気にしていた。 「泣いたってバレると困るのか?」 宇佐見の問い掛けに華井は宇佐見を睨んだ。 「…え?何?何?」 「泣いた原因を話すまで許してくれない。 兄貴には嘘なんて通用しないし、本当のことも言えないだろ!?」 そう言うと、ぷうっと膨れてパフェにスプーンを刺した。 本当のこと… 涼が初めて自分から受け入れた人間が俺で… それを俺が疑った… それで涼が大泣きした… 付き合いたてのバカップルみてぇ… 宇佐見はプリプリ怒りながらもパフェを頬張る華井に、自然と笑みが零れた。 涼は誰かとセックスしてる それは事実だ でも相手を自分で選んだとは思っていない だったら…俺を初めて受け入れたって言うなら… それを信じて、俺だけのものにすればいい… 華井がパッと顔を上げて宇佐見を見る。 「純くん、明日の予定ってなに?」 「えっと…午後イチで格闘技の練習。 その後バイト」 「ふーん…。 じゃあその時一緒に家出るから今夜泊めてくれる?」 「えっ!?」 「この顔じゃ帰れない」 「でも昨日もサクの家に泊まってるし…。 お兄さん怒らない?」 宇佐見が心配して言うと、華井は瞳を伏せた。 「泣き顔見られるより良い…。 本当に…全部話すまで許してくれないから…」 そう言って唇を噛んだ。 華井はファミレスを出ると、「ちょっと待ってて」と言って、宇佐見から離れてスマホで電話をし出した。 宇佐見に話し声は聞こえなかったが、なんとなく揉めてる雰囲気は伝わってきた。 十分位すると宇佐見の元に戻って来た華井は「…ダメだった。帰る」と言った。 その姿があまりにガッカリしていたので、宇佐見はまた心配になった。 「涼、帰ってお兄さんに泣いた理由訊かれたら、本当のこと直ぐ話しちゃえば? 別に大した話じゃ無いだろ?」 「…純くんの名前まで絶対訊かれる」 「俺の名前出したっていいよ?」 「…昨夜のことも話すのかよ?」 華井が顔を赤くして宇佐見を睨む。 宇佐見は頬が熱くなるのを感じた。 「あのさ、お兄さんは涼のことを怒らないんだよな?」 「うん」 「じゃあ許さないってどういう意味?」 華井は俯くと、「心配かけてごめん。なんとかなるよ。あと変なこと言ってごめんな」と言い、駅に向かって歩き出した。 華井は駅前の深夜営業のドラッグストアで、充血止めの目薬を買って帰って行った。 その後ろ姿が儚くて、宇佐見は呼び止めたくなるのを何度も我慢した。 翌朝、宇佐見はどうしても心配が拭えず、華井に『お兄さんとはどうだった?電話出来たら電話して』とラインした。 華井から返事は無かった。 取りあえず予定通り午後から格闘技の練習に向かう。 それでもミスの連発で、いい加減嫌になって休憩中にスポーツドリンクを飲んでいると、「らしくねえじゃん」と方々から声が掛かった。 宇佐見は格闘技の練習が終わると、速攻帰宅してシャワーを浴び、バイト先に急いだ。 宇佐見が制服に着替え終わると、「宇佐見、差し入れあるから食えよ」と先輩に声を掛けられた。 休憩スペースに行くと、クッキーの詰め合わせの箱が置いてあって、みんな好き勝手に食べていた。 宇佐見も一つ取って食べていると、「宇佐見、店長が呼んでるぞー」と呼ばれた。 宇佐見がホールに入って行くと、店長がひとりの男と話して居るのが見えた。 涼のお兄さんだ…! 宇佐見は緊張を隠しながら、店長に「何かご用ですか?」と訊いた。 店長は笑って、「こちら華井くんのお兄さん。今日差し入れ持ってきてくれて、宇佐見に訊きたいことがあるんだって」と言うと、席を立って行った。
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