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【14】君のために
「初めまして。宇佐見純一です」
宇佐見は軽く頭を下げた。
「よろしく。
俺は前野淳。
涼くんの義理の兄だ。
涼くんから聞いたよ。
大学で君達グループと仲良くして貰ってるんだって?
昨夜バイト先も一緒だって言うから挨拶に来たんだ」
前野はにこやかに言った。
宇佐見は『昨夜』と言う言葉に、胸がドキリとした。
昨夜、やっぱり涼は泣き顔のことでお兄さんに訊かれたんだ…
でもどこまで話した?
墓穴を掘るわけにはいかない…
「涼くんは変わってるだろ?
付き合い辛くない?」
「そんなこと、思ったことありません」
「昨夜涼くんは泣き腫らした顔で帰って来た。
俺と店で話してる時は泣いてる様子なんて全く無かった。
だから泣いたとしたらバイトの後だ。
でも昨夜の涼くんは頑固でね…どうしても理由を言わない。
やっと喋ったのが君とバイトが一緒と言うことだけ。
君、何か心当たり無い?」
「有りません」
宇佐見はキッパリと答えると、続けて思い切って言った。
「それより何で前野さんは華井くんが泣いて帰ったからって、そんなに拘るんですか?
本人が言いたく無いなら、そっとしておいてあげる方が良いと思います」
前野が余裕の笑みを浮かべる。
「たったひとりの弟が泣いて帰って来たら心配するだろう?
涼くんはね…俺には隠し事は出来ない。
する必要も無い。
俺が質問したら涼くんは答える…全てをね。
でも昨夜は違った。
どんなに理由を訊いても答えない。
バイトの後、君とロッカーで一緒だった…そこまでしか言わないんだ」
「だったらもう良いじゃないですか。
今、強制しなくても、話せる時が来たら自然に話すと思いますけど」
「…そう」
前野が立ち上がった。
「無駄足だったな。
やっぱり涼くん本人に訊くしかなさそうだ。
時間取らせて悪かった」
そう言うと、前野は宇佐見に背を向けた。
「前野さん!待って下さい。
華井くんは昨夜から話さないんですよね?
もう何時間も経ってる…。
出来ればまた日を改めて、話を聞いてあげてください!」
前野はゆっくりと振り向いた。
「君は俺と涼くんのことは何も知らない。
恐らく涼くんのことだって、殆ど知らない筈だ。
だから理解できなくて当然だと思う。
でも君が良いヤツだと言うことは解った。
これからも涼くんと友達として仲良くしてやってくれよ」
前野はやさしく微笑むと宇佐見の肩をポンポンと軽く叩いて、また背を向けると今度こそ去って行った。
宇佐見はロッカーに走った。
今お兄さんが此処にいると言うことは、涼は家にひとりで居るはず…
バッグからスマホを取り出すと華井に電話を掛けた。
華井は中々出なかったが、暫くすると『はい』と小さい声が聞こえた。
「涼?俺。
大丈夫?」
『ん…』
「今、店にお兄さんが来た。
涼が泣いた理由を訊かれた」
『…まさか…喋って無いよな?』
華井は震えた声で言った。
「何も話して無いから安心しろ。
でも…お兄さん、これからまた涼に話しを訊くって言ってた…」
『…そっか…』
華井は諦めたように言う。
「涼…まさかお兄さんに暴力振るわれてるとかじゃ無いよな?」
『…そんなんじゃ無い…』
「じゃあ涼から話を聞き出す為に、お兄さんは何をするんだ?」
『……』
「心配なんだ。
だってもう何時間も訊かれてるんだろ?
それでも涼が喋らないからってわざわざ俺のところまで来て…。
普通じゃ無いよ」
『…普通…』
華井はポツリと言った。
『でもこれが俺にとって普通の生活なんだ』
「涼…」
『心配してくれてありがとな。
でも大丈夫。
何とか切り抜けるから。
今日は嫌な思いをさせてごめん。
じゃあ明日』
「涼、待てよ!」
『…なに?』
「俺、涼が好きだよ。
涼の為なら何だってする。
それだけ忘れないで」
『…何でもするなんて…簡単に言わない方が良い。
じゃあな』
華井はそれだけ言うと電話を切った。
翌朝、華井は大学に現れなかった。
熱があるから休むとグループラインにトークがあった。
「涼ちゃん大丈夫かな~?
お兄さん会社に行っちゃって、ひとりで居るんじゃない?
こっちからもラインしてみようか?」
スマホを持つ賀川の手を朔宮が止める。
「もし眠ってたらどうするんですか?
起こしちゃうでしょ?」
「そうだな~。
それに俺達にして欲しいことがあったら、涼くんから連絡くるだろ」
赤坂のノンビリした声が宇佐見の耳を素通りする。
昨夜は熱があるなんて言って無かった…
電話の後、熱を出した?
お兄さんに…何かされた?
涼…連絡してきてくれよ…
だが宇佐見の願いも虚しく、華井からはそれ以降何の連絡も無く、翌日も大学を休みバイトも休んだ。
ピンポーン…
ピンポーン……
宇佐見は無意識にスマホを掴んで時間を見た。
朝の7時半…
誰だよ…勧誘とかだったらぶっ飛ばす…
ボンヤリする頭のまま何とかインターフォンまで辿り着く。
宇佐見はモニターも見ずに言った。
「…はい?」
『俺』
その一言で一気に目が覚めた。
宇佐見が慌ててロックを解除して玄関の扉を開けると、華井が照れ臭そうな顔をして立っていた。
「朝早くにごめん…」
「いいから!早く上がれよ!」
宇佐見は俯く華井の細い腕を引っ張った。
華井は宇佐見の入れたソイラテを一口飲むと、「豆乳、買ってあるんだ?」と嬉しそうに笑った。
「…まぁ…俺も嫌いじゃ無いし…」
「…ふーん」
華井は瞳をクリクリさせて面白そうに宇佐見を見た。
「涼はどうした?
こんな時間に」
宇佐見は華井の視線を避けるように、ペットボトルの水を飲みながら訊いた。
「…兄貴に思い知らせてやろうと思って…」
「…え?」
「今朝、兄貴は俺が寝てるんだと思ってた。
だから兄貴が出勤する時…玄関の扉を開けた瞬間に、家を飛び出したんだ。
あの兄貴が焦って…可笑しかったなぁ~。
涼くん、涼くんって何度も呼んでた」
華井は得意気に笑って言った。
宇佐見はハッとして華井を見た。
華井は手ぶらで荷物を何も持って居なかった。
「涼、此処までどうやって来たんだ?」
華井はコットンのズボンのポケットから財布を取り出した。
「これだけ持って来た」
「こ、これだけって…スマホとか大学の用意は?」
「スマホは昨日自分で壊した」
「えぇっ!?」
宇佐見は思わず華井の肩を掴んだ。
「だって…兄貴のヤツしつこいから…。
俺、月曜に熱出しただろ?
夜には熱は下がったけど、ダルくて動けないって言うのに…あれこれ言って来て…。
昨日は昨日でスマホ見せろ全部チェックするって言い出して…。
別に見せても良かったけど、土曜の夜からの兄貴が本当にしつこくてさ…。
俺も良い加減頭冷やしてもらいたくて、目の前で電池パック抜いて本体と一緒に水に浸けてやった」
「お兄さん怒らなかった!?」
「言ったろ?兄貴は俺を怒ったりしない。
ただ唖然としてた。
それで反省してくれるかなって思ったら…またしつこくて…。
それでもっと思い知らせるしか無いと思って、今朝飛び出して来た」
華井はそう言うと一気にソイラテを飲んだ。
「でもスマホ…中身全部消えちゃったんだろ?
どうするんだよ?」
「平気。
電話帳のバックアップは携帯会社がちゃんと管理してくれてる。
だから新しいスマホにデータ移せるし」
「そう…。
それなら良いけど」
宇佐見はホッとして華井の肩を掴んだ腕から力を抜いた。
「でもアプリとかブックマークやスケジュールが消えたのか痛いけどな~」
華井はちょっと残念そうに言った。
宇佐見は少し落ち着くと、華井が何度も『しつこい』と繰り返すのが気になった。
「お兄さん、しつこいって涼に何してくるんだ?
涼が泣いた理由をしつこく訊いてくるってこと?」
華井は宇佐見をじっと見ると、「そんなもん」と言って目を逸らした。
「…涼…まだ泣いた理由言わなかったんだ…」
「うん。言えるわけ無いし。
でも俺が兄貴に反抗したのって初めてだったから…。
きっと頭に血が上ったんだろうな」
「話しちゃえば良かったのに…」
宇佐見が思わずそう言うと、華井は両手でそっと宇佐見の頬に触れた。
「兄貴は純くんのことを知った。
もし本当のことなんて話したら、純くんが何をされるか分からない。
そんなの嫌だ」
「…涼」
「兄貴は俺に手を出すヤツにはどんなことでもする。
兄貴が本気を出したら…純くんはただじゃ済まない」
「…俺のために…話さなかったのか?」
華井は赤くなると頷いた。
宇佐見は自分の頬に添えられた華井の指をそっと外した。
そして、きつく華井を抱きしめた。
「涼…どうしよう…。
俺、スゲー嬉しい…」
「…純くん…」
「…なあキスさせて…本気のキス」
「…無理だ…」
「もし涼が気持ち悪くなったとしたら可哀想だけど、俺は傷付かないから」
「……」
「…頼むよ…」
華井は少し身体を離すと宇佐見の顔を見つめた。
宇佐見の大きな切れ長の黒い瞳に自分が映っているのが分かる。
宇佐見は瞬きもせずに、華井を見つめている。
華井は宇佐見の唇にそっと自分の唇を重ねた。
涼の唇が震えてる…
宇佐見は重ねたられた唇を角度を変えながら何度も塞ぐ。
怖がらせないように…
舌先で華井の唇をやさしくなぞる。
華井は一瞬ビクッと震えたが小さく口を開いた。
そこから宇佐見がゆっくりと舌を差し込む。
宇佐見は華井の口内を存分に味わい尽くしたいのを我慢した。
今は涼が俺を嫌がらないか確認するだけ…
そう思い、華井の舌を見つけるとそっと舌を絡めた。
華井が宇佐見の肩に手を掛ける。
突き飛ばされる?
だが華井はぎゅっとしがみついて来た。
それを合図に、宇佐見は緩急をつけて舌を吸う。
「…んっ…んん…ん…」
華井が喉を鳴らす。
嫌がって無い…
そう確信した宇佐見は、華井の頭を片手で支えて引き寄せると、甘いキスを続けた。
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