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【19】別れの曲
「ドライオーガズムって…」
宇佐見は思わず華井の頬に手を当てると顔を上げさせた。
宇佐見には男同士のセックスとして知識だけはあった。
「まさか…涼のベニスの根元に紐を巻きつけた?
自力でイかせないようにしたのか?」
「そうだよ」
華井は何でも無いように言った。
「涼、苦しかっただろ?
イっても出せないんだから…」
「うん。普通にイくより凄く感じるんだ。
苦しいくらい…。
でも挿れられるのはどうしてもイヤだった。
だから兄貴の気が済むまでやったよ。
もちろん最後は紐を取ってイかせてくれた。
大したことじゃない」
淡々と言う華井を宇佐見はきつく抱きしめた。
「涼…ごめん」
「何だよ?
何で純くんが謝るの?」
「俺のためにそんなことさせて…。
苦しかったよな…ごめん」
「そんなこと無い。
確かに少しキツかったけど、兄貴は俺を傷付けたりしないって言ったろ?
兄貴はただセックスの一種を俺に教えた。
それだけだよ」
「そんなの…知らなくたって良いことだよ?
好きな相手にわざわざ苦しい思いをさせることなんて無い」
「兄貴はいつもそうだから。
俺が兄貴だけを好きだって、兄貴以外に触らせない、セックスさせないって答えるまで根元を掴んでイかせてくれない。
だから馴れてる。
それがちょっとキツかっただけ。
そんなに心配すんなよ」
華井がニコッと笑う。
「…涼…」
宇佐見はそれ以上何と言えばいいか分からなかった。
涼はお兄さんのやることは全部当然だと思ってる
きっと昨日今日始まったことじゃ無い
何年もそういう扱いを受けてきたんだ…
でも俺は…今日境界線を越えた
涼を抱いた
お兄さんから少しずつでも涼から自立させることが出来たら…
「純くん?
どうしたんだよ?
急に黙っちゃって…。
眠い?」
華井がじっと宇佐見を見上げる。
まるで天使のような清らかさに、前野と自分に抱かれているなんて信じられない思いが宇佐見の胸を締め付ける。
「んーそうだなぁ…。
あと2~3回は出来るよ?」
「ばっ馬鹿!ふざけんな!」
華井が真っ赤になって宇佐見の腕から逃れようともがく。
「嘘、嘘。今夜はもう寝よ。おやすみ」
宇佐見はクスクス笑って華井のおでこにキスをした。
翌朝華井は、スマホの電源を入れた途端に届いた、不在着信を知らせるメールの件数に困った顔をしてスマホを見つめていた。
宇佐見は訊かなくても相手がお兄さんだと分かった。
華井はいつもは周りを気にせず電話をするのに、その時は「寝室借りる」と言って寝室に籠もると、電話を掛けた。
寝室から出て来た華井は暗い顔をしていた。
「涼、朝食…」
「俺の服、もう乾いてる?」
「あ、うん。
昨日のうちに洗濯機にかけておいたから」
「サンキュ」
華井は宇佐見の顔も見ずに洗濯機に向かうと、自分の服を取り出した。
「涼、もう帰るのか?」
「うん」
「…お兄さんに何か言われた?」
華井はじっと宇佐見を見つめた。
「…純くんにとっての好きって何?」
「涼…?」
「俺がもし…純くんの前から消えたら…純くんは最初は寂しがる。
でもその内、あんなこともあったなって思い出になる。
でも…兄貴は俺が居ないと生きていけ無いって言う。
俺が純くんを好きな気持ちも…好奇心だって…。
だから気にもならないって」
「涼!」
宇佐見は華井の細い肩を両手で掴むと揺さぶった。
「涼は俺が好きだって気が付いてお兄さんを拒否した。
あんな目に遭ってもセックスを嫌がった。
それがただの好奇心なのか!?
涼が俺の目の前から消えるなんて有り得ない!
俺が必ず探し出すから!
涼、お兄さんの言葉じゃ無くて、自分で考えるんだ。
涼の今の正直な気持ちは何?」
「…俺は…兄貴が好きだ。離れられない…」
「うん」
「でも…純くんとも一緒にいたい…。
純くんも好きなんだ…。
兄貴とは違う好きで…。
こんなの初めてで…俺…」
華井の大きな丸い瞳に涙が溢れる。
「分からない…こんな気持ち…。
でも純くんが好きで…傷つけたくなくて…離れよう、そう決めたのに…。
そしたら兄貴と出来なくなった…」
「涼、いくらお兄さんでも、嫌なら何もする必要無いんだ」
宇佐見の指がそっと華井の涙を拭う。
「俺と居たいなら好きなだけ一緒に居ろよ。
今すぐお兄さんと離れられなくたっていい。
涼の好きなように生活してみて。
それが俺の幸せなんだ」
宇佐見はそっと華井を抱きしめた。
「今まで正直色んな人と付き合ったよ。
でも…相手の幸せなんて考えたこと無かった。
自分のことで精一杯だった。
でも涼は違う。
涼が幸せだと俺も幸せなんだ」
華井は宇佐見の胸に縋りつくと、声も立てずに泣いた。
それでも華井は朝食も食べずに帰って行った。
宇佐見は、今日は平日だ、お兄さんは会社なんだからと安心していた。
バイトまで時間があったので洋服でも買いながら街をブラつこうかな…と考えていたらインターフォンが鳴った。
モニターを見てゲンナリした。
「何でわざわざ家に来んだよ?」
アイスコーヒーを赤坂の前に置くと宇佐見はため息を吐いた。
「たまには外に出ねぇとな。
やっとメンドーなバイトも終わったし!
今日は粘土細工~」
「ふーん」
「何だよ。
涼くんとヤった割には冷静じゃねぇか」
宇佐見は思わずアイスコーヒーを吹き出しそうになった。
「ななな何で分かんの!?」
「お前、鏡見てみろよ?
尋常じゃ無いくらいニヤけてんぞ?」
「マジ!?」
宇佐見が両手で頬を押さえる。
「あーあ、男前が台無し。
ま、いいけど。
で、涼くんはどうなの?
もう帰っちゃったのか?」
「…うん。お兄さんと電話してさ…」
「お兄さんと涼くんって、結局他人なんだよな?」
赤坂は器用に手を止めずに話し続ける。
「義理って言っても色々あるじゃん。
親の再婚相手の連れ子から、涼くんのお姉さんと結婚してるとかさ」
「まさか!」
「まぁそれは飛躍し過ぎだけどさ、連れ子同士だとしてもおかしいよな?
じゃあ他の家族は何してんだよってことになるじゃん。
何もわざわざ二人暮らしすること無いだろ?」
「確かに…」
「お前、聞いて見ろよ。
一応恋人なんだろ?」
「ああっ!」
宇佐見が突然立ち上がる。
「うるせーな~、何?」
「俺…好きだって言ったけど…付き合ってって言って無い…」
「それでエッチだけはしっかりしたのかよ!?
馬鹿だな~!」
赤坂は爆笑しながらも、指先は止めなかった。
宇佐見は赤坂とデリバリーで昼食を済ますと、お気に入りの歴史本を読んでいた。
赤坂は作品作りに熱中している。
だが宇佐見は本の内容が頭に入って来なくて参った。
涼に好きだとは何度も言った…
それなのに肝心な『付き合って』を言って無い…
なのにセックスしちゃったんだ…
涼は何て思ってるだろう?
『馬鹿だな~!』と赤坂に爆笑されたのも、胸がチクチク傷む。
宇佐見は思い切って華井にラインした。
『涼、今何してる?
俺、涼と付き合いたい。
なんか行為と前後してごめん。
でも本気だから。
返事待ってる。』
たったそれだけの文章を作成するのに、たっぷり15分掛かった。
涼の負担にならないように…
あくまでもさり気無く…
宇佐見がトークすると、赤坂が作品を手にしながら笑った。
「天下の宇佐見純一さまも涼くんに掛かっちゃ形無しだな~。
もうさ、涼くんの事情全部聞いちゃえよ」
「そんな無神経なこと出来ない。
出来れば涼から話して欲しいし…」
「まぁお前がそれで良いならいいけど。
手遅れにならないようにな」
赤坂は出来上がった粘土細工を満足そうに見た。
華井からは一時間位してトークがあった。
『今更付き合うって…純くんらしいな(笑)
いいよ。
ただ兄貴が俺の好きな相手が4人のうちの誰かって疑ってるみたい。
だから気をつけろよ。』
俺のことがお兄さんにバレたら…お兄さんに俺が何されるか分からないって心配してた涼…
俺は何されても平気だけど…
涼がイヤだって言うなら…隠すよ
宇佐見は夕方になるとバイトに向かった。
あと3連勤か…と思いながら制服に着替える。
いつものように開店準備をしていると、店長に今日は団体のお客様があるから10人用のテーブルセットをするように言われた。
この店で10人って珍しいな…
宴会なんかとは無縁の店なのに…
そう思いながら言われた通りにセットした。
開店してチラホラ客が入ってきた頃、その団体客がやって来た。
店長自ら出迎えていて、また珍しいなと宇佐見は思った。
その時、男に肩を抱かれて入ってきた若い男が視界を掠めて、あっと声が出そうになった。
それは前野に肩を抱かれている華井だった。
ラフな普段着より少しレベルアップした格好をしていた。
予約していた席に座ると、宇佐見も駆り出されて接客に向かった。
華井は俯いて宇佐見を見ようとしなかった。
前野は、「やあ、久し振り。元気そうだね。涼くんにはルシアン持ってきてやってくれる?」と、にこやかに言った。
「…俺…酒はいらない」
華井は小さい声で言った。
だが前野は聞こえないように、「よろしく」と続けた。
前野達は場所をわきまえているようで、大騒ぎなどは一切しないで、楽しそうに飲んでいた。
宇佐見はそれとなく華井を観察していた。
話題の中心は華井のようで、大学の話を質問攻めにされていて、宇佐見は可哀想になった。
華井には元々友達なんて居なかった。
自分達と仲良くなってからも何ヶ月も経っていない。
そんなに話せることなど無いのだ。
その内、店長が前野にピッタリついて話し出した。
前野は笑って断っていたようだったが、華井を立たせた。
前野は華井を抱き寄せながら何か囁いていた。
華井は諦めたようにピアノを弾き出した。
宇佐見も知っているショパンの『別れの曲』だった。
その短い曲がなぜか宇佐見の胸に迫った。
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