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【20】自分の意思
華井は口当たりの良いカクテルを次々飲まされていて、宇佐見は心配した。
口当たりは良いけれど、アルコール度数は高い。
案の定、フラつきながらトイレに向かう華井が見えた。
前野が付いて行こうとしていたが、華井は怒ったように前野の手を振り払うと、ひとりでトイレに向かう。
宇佐見はさっと周りを見回して、華井の後を追った。
トイレは二重扉になっている。
宇佐見がそっとノックして、「涼、俺だけど大丈夫?」と小声で言うと、中からガチャリとドアが開いた。
宇佐見は素早く中に入ると扉を閉めた。
「吐いたのか?」
「違う…。
吐きたかったけどダメだった」
「なんで…」
「兄貴の友達に医者がいるんだよ。
俺があんまり話さないからって、罰ゲームって言って変なビタミン剤飲まされた」
「ビタミン剤?」
「んなワケ無いだろ…エッチ系に決まってる。
兄貴のヤツ、いつもなら絶対そんなことさせないのに…」
華井は悔しそうに唇を噛んだ。
「…気分悪い?」
「よく分かんない。
ちょっと身体が熱くて、頭がボーっとしてるかな」
「水を沢山飲んで流した方がいい。
バックヤードに行こう」
宇佐見はフラつく華井の細い手首を掴んで、トイレを出た。
「涼くん、何してるの?」
目の前に前野がいた。
「兄貴のせいだろ…。
変なもの飲ませて…。
俺はピアノだって弾いた。
これ以上何させたいんだよ?」
「そんなに拗ねないで。
大した薬じゃ無い。
緊張がほぐれる…それだけだよ。
席に戻ろう」
「…イヤだって言ったら?」
「涼くんはそんなことは言わない。
大切な友達なんでしょ?」
前野は宇佐見を見た。
「ただの…友達だよ」
華井は宇佐見の掴んだ手を自分で剥がした。
「戻るよ。ただし水を頼んで。もう酒は飲まない」
「分かった。行こう。
君、ミネラルウォーターを頼む」
前野はそう言うと華井を支えて歩き出した。
華井はそれから水しか口にして居なかったが、明らかに身体が辛そうで宇佐見は心配だった。
前野の胸に縋りつくように寄り添っていた。
薬のせいだと分かっていても、宇佐見の胸は痛んだ。
それから宇佐見はなるべく華井を見ないように、仕事に励んだ。
一段落してホッとしていると、「宇佐見くん、ちょっといい?」と声を掛けられた。
振り向くと前野がいた。
「すみません。仕事中なので」
「店長に許可は貰った。
少しでいいんだ」
柔らかい口調に有無を言わせぬ迫力があった。
「何でしょうか?」
宇佐見は前野の目を見て訊いた。
「君達が涼くんと仲良くしてくれるのは何故かな?
君だけを見たって分かる。
君達は目立つ。
涼くんは目立ちたく無いんだよ。
分かってくれるよね?」
「華井くんはもう目立つこととか気にして無いと思います。
友達と仲良くするのも普通だと思います」
「……ただの友達ならね」
前野が射るように宇佐見の目を見返した。
「君なら知ってるはずだ。
涼くんの好奇心の相手…」
「意味が分かりかねます」
「今夜、涼くんは辛いだろうな…。
君さえ喋ってくれれば、今すぐ中和剤を飲ませてやれる」
「あんた…最低だな。
涼が口を割らないからって、涼を脅しに使うのかよ!?」
「君、本気で人を愛したこと無いだろう?
誰かに憎まれても人を愛したこと…」
前野はフッと笑った。
「まぁいい。
あんな涼くんを放って置けるんだ。
君は単なる仲良しグループの一員なんだな。
良く分かったよ。
もう君には関わらないから安心して。
意味無いからね」
「涼に中和剤を飲ませろ…!
今すぐにだ!」
「それは出来ない。
涼くんにも思い知ってもらう必要がある。
自分は誰のものなのかってね」
「貴様…!」
宇佐見の拳が震える。
「君は格闘技をやってるんだったな。
自分の意見が通らないと暴力か?
子供だね。
世の中には暴力なんかより、簡単に人を潰す方法なんて幾らだってあるんだよ。
君は一応涼くんの友達だ。
俺から手は出さないよ。
ただ二度目は無いし、俺と涼くんの関係にもう口出しするな。
その顔や格闘技をやってること…君の魅力の大半を占めてるんだろ?」
前野はにっこり笑うと、宇佐見に背を向けた。
宇佐見はそれから店長に願い出て裏仕事に廻った。
ボーイ専門の宇佐見が、汚れ仕事をすることに、バイト仲間はみんな驚いていた。
今夜の華井のことを思うと胸が引き裂かれそうだった。
それを助けられない自分。
涼と二人の関係を秘密にすると約束したからって…言えば良かった?
いや、言ったからって涼を助けられたとは限らない
もっと悪い事態になったかもしれない…
答えの出ない後悔が宇佐見の胸を刺す。
『その顔や格闘技をやってること…君の魅力の大半を占めてるんだろ?』
俺は顔と格闘技しか取り柄が無いっていうことか…?
涼…こんな俺でごめん…
その夜、宇佐見は眠れなかった。
涼の幸せが俺の幸せだと言った今朝…
俺の胸で声も立てず泣いてた涼…
それがたった一日も経たないうちに…
薬なんか飲まされて…
涼はどんな思いでお兄さんに抱かれてるのか…
お兄さんをあんな思いまでして拒否してたのに…
宇佐見が何本目か分からない缶ビールを空けた午前3時、インターフォンが鳴った。
玄関に立ったままの華井を宇佐見は抱きしめた。
「…純くん…俺汚れてるんだ…シャワー貸して」
「俺が洗ってやる」
「酒臭いよ、純くん!
ひとりで入るよ」
華井が困ったように笑う。
その笑い声が宇佐見の身体の芯に響いた。
何故か涙が溢れる。
「…純くん…?」
「涼…ごめん」
「何で純くんが謝るんだよ?」
「俺、涼を守れなかった」
「純くんは兄貴に何も言わないでくれた。
それで十分だから」
「涼…」
「…純くん…ありがとう」
宇佐見は溢れる涙を中々止めることが出来なかった。
宇佐見はお湯を張ってやると言ったが、華井はクタクタで湯船なんかに入ったら眠っちゃうと言って断った。
宇佐見が着替えを貸そうかと言うと、大きめのスポーツバッグから着替えを出していた。
シャワーを浴びてスッキリしたのか、華井は機嫌良く水をゴクゴク飲んでいた。
だが目の下にはクマが出来ていて顔色も悪い。
身体を少し動かすのもキツそうだった。
「涼、今夜って言ってももう朝だけど寝たら?
それとも何か食べてから寝る?」
「食欲無い。寝る。
でもその前に純くんに話があるんだ」
「…なに?」
「俺、今夜兄貴に薬飲まされただろ?
あれ飲んだら身体が我慢できなくて、有り得ないくらい兄貴に抱かれた。
でもやっと薬が切れて、そのまま失神しちゃったんだけど、なんとか起きて兄貴に当分家を出るって言ったんだ」
華井は一気に言うとまた水を飲んだ。
「家を出るって…お兄さんは許したのか!?」
「許すも許さないも無い。
今夜したことはルール違反だろ?
俺が純くんのことを言わないからって、薬を使うなんて…。
それでも俺は言わなかった。
だから兄貴も意地になったんだろうけど、俺にも意思があるんだって解って貰わないと…。
これから先、一緒に暮らして行けない」
宇佐見は余りに驚いて何も言えなかった。
あんなにお兄さんを盲信してた涼が…
自分の意思を理解して欲しいって…
それだけ薬を使われたのがショックで怒ったんだ…
「それでさ…」
華井がちょっと口籠る。
「俺…純くん達しか友達居ないし…サクにも頼むから、少しの間、泊めてくれない?
ちゃんと食費や光熱費も払うし」
「…え!?」
「迷惑なら…貯金もあるしどうにかする。
とりあえず今夜は泊めて」
「…馬鹿っ!」
宇佐見は華井を強く抱きしめた。
「純くん…?」
「馬鹿だよ…涼…。
なんで俺が迷惑なんだよ?
なんで朔宮が出てくんだよ?
何度言ったら分かるんだよ?
俺は涼が好きなんだ。
一緒に暮らせて嬉しいに決まってる」
「…でも…俺達他人…」
「涼とお兄さんだって他人だろ?」
「…純くん…」
「今夜はもう寝よう?」
宇佐見はそう言うと、華井を抱き上げて寝室に向かった。
華井は翌日、食事の時以外は寝たきりだった。
昨夜どんな目に遭ったんだ?
ダルそうにソファに転がる華井を見る度、宇佐見は怒りがこみ上げた。
それでも華井は前野について、愚痴めいたことも、悪口も言わなかった。
時折スマホに掛かってくる前野からの電話にもちゃんと出ていた。
居場所は絶対に言わなかったが、自分は無事だから淳も反省して欲しい、それを解ってくれるまでは帰らないと繰り返していた。
今は帰らないと言うことは、いつかは帰ると言うことだ…
宇佐見が華井の頬にそっと触れる。
華井が笑って宇佐見を見る。
唇が重なる。
涼…好きだよ…
もう何十回思ったか分からない思いを、宇佐見は心の中で呟く。
宇佐見はバイトが後2日連続してあったので、華井を夜ひとりにして出掛けるのに不安があったが、夕方になって大分元気になってきた華井は、「ひとりで留守番なんて慣れてる」と何でも無いように笑った。
夕食も宇佐見はバイト先で賄いが出るので、自分はコンビニで済ますと言った。
宇佐見はそれでも心配で、バイトが終わるとダッシュで帰宅した。
華井は、「お帰り。早かったな。何か飲む?」と言って、風呂に入ったんだろうサラサラの髪でツヤツヤ光る頬をして笑う。
宇佐見は華井が淹れてくれたアイスコーヒーを一気に飲むと、シャワーを浴びた。
ヤバイなぁ…
昨日の今日だぜ?
涼はきっとセックスなんて無理だ…
あんなかわいい涼を目の前にして、理性保つか、俺?
早く寝てくれるといいな…
そんな宇佐見の願いも虚しく、一日中家でのんびり過ごした華井は元気を取り戻していた。
宇佐見がいつも通り腕枕をしてやると嬉しそうに寄り添って、今日観たテレビの話などをしてくる。
「あー昨夜の悪夢が嘘みたい…落ち着く…」
そう言われても、落ち着けない宇佐見は上手く返せない。
華井はよっぽど楽しいのか、話しをしながら宇佐見の頬や唇に軽くキスまでしてくる。
「…純くん…」と言いながら首筋に顔を埋められ、小さくキスされ、宇佐見はたまらず華井の顔を上げさせると唇を塞いだ。
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