【22】初恋は実らない

1/1
前へ
/29ページ
次へ

【22】初恋は実らない

それでも宇佐見が身体を離すと、華井はガバッと起き上がり洗面所と浴室に走った。 口内洗浄液を使っているのか、えずきながらうがいを繰り返す音が宇佐見の耳に届く。 その内シャワーの音が微かに聞こえてきた。 終わったな…俺達… 宇佐見は服を着るのもかったるく下着だけ履くと、ベッドに転がって天井を見ていた。 そのうち視界が霞んで、自分は泣いているんだと気が付いた。 涙は自分の意志とは無関係に、次々と頬を零れ落ちていく。 暫くすると、いつもの甘い華井の風呂上がりの香りが漂ってきたと思ったら、「…純くん…」と小さな声がした。 宇佐見がそちらを向くと、「…純くんが泣くのかよ…」と華井は呟いて、テーブルにカチャンと音をさせて何かを置いた。 「合い鍵…返しとく。 今の純くんは俺の話を聞いてくれないし、俺も今の純くんの傍にはいられない。 短い間だったけど置いてくれてありがとな。 食費とかは後で送る」 そう言うと華井は手早く私物をスポーツバッグに詰めていった。 「…行くとこ…あんのか?」 「……」 「そうだよな。 お兄さんと仲直りしたんだから家に帰るんだ」 華井は黙って振り返ると、宇佐見の傍まで来た。 そしてベッドサイドにあったティッシュで宇佐見の涙を拭った。 「泣きながら言われても、引き留められてる気分になるから泣き止めよ」 「…家に帰るのか?」 「純くんは俺と兄貴が元通りになったと思ってるんだろ? だから今は何を言ったって信じてくれない。 だから話さない。 じゃあな」 「涼…俺…!」 「触るな!」 華井に伸びかけた宇佐見の手が止まる。 「純くん…楽しかったよ。 まるで…恋してたみたいだった…。 俺達、毎日笑ってたよな?」 「りょ…う…」 「もう泣くなよ! 泣くなら俺だろ? 本当に面倒臭いヤツだな!」 「…俺…俺…」 華井は宇佐見の目線までしゃがむと、涙を零す宇佐見の瞳を見て微笑んだ。 「純くん…本当に楽しかったよ。 恋なんて知らないうちから、俺の隣には兄貴がいた。 だから…きっと純くんが俺の初恋だった。 初恋は実らないって本当かもな?」 華井はちょっと小首を傾げてニコッと笑うと、そのまま宇佐見に背を向けて部屋を出て行った。 涼の言う通りだよ… 涼が泣かないで 何で俺が泣く? 何で涙が止まらない? でも止まらないんだ… 宇佐見はその夜、子供のように泣き疲れて眠った。 宇佐見が翌日起きると、もう正午近かった。 ゆっくり風呂に入ってから簡単な食事を作って食べた。 そして朔宮に電話を掛けた。 『はいはーい』 「…機嫌良いな…」 『宇佐見さん暗っ!何ですか?』 「…涼…そっちに行ってる?」 『涼ちゃん? 来てませんよ。 何かありましたっけ、今日?』 「…じゃあさ…行ったら連絡くれよ」 『喧嘩ですか~?』 「まぁそんなもん。 よろしくな」 『了解~』 朔宮と電話を切った後、宇佐見は一応賀川と赤坂にも電話を掛けたが、二人共朔宮と同じ返事だった。 『俺、お前達しか友達いないし…』 『迷惑なら貯金もあるし…』 華井の言葉が蘇る。 どこかのホテルにでも泊まってる? でも涼は、本当に小遣い程度になる位しか働いていなかった それで貯金なんて、たかが知れてる お兄さんの家…じゃない あの口振りは絶対違う 今なら分かるのに… 涼の話…今なら冷静に聞けるのに… もう遅い 俺が嫉妬に狂って全部ぶち壊したんだ… あんなに涼は誤解だって言ったのに… 『純くん…本当に楽しかったよ。 恋なんて知らないうちから俺の隣には兄貴がいた。 だから…きっと純くんが俺の初恋だった。 初恋は実らないって本当かもな?』 涼…俺の方が何倍も楽しかったよ… 涼の俺だけに向けられる笑顔を見る度、恋に落ちて 好きで好きで… 最後にあんなに傷つけたのに…初恋なんて… そう言って笑ってくれた… 自分が傷つけられたことより、傷つけずにいられなかった俺の気持ちを考えてくれたんだ… 涼 俺が面倒臭いヤツなら、涼はやっぱり馬鹿だよ 俺なんかにやさしくするから… 俺は諦められなくなる 俺は面倒臭いヤツだから…必ず涼を探し出して謝る 許して貰えなくたって良い ただ涼が俺に話そうとしたことだけ、聞かせて そうしたら俺も教えてあげるよ 『初恋は実らない』 なんて恋に恋する女の子が言うことだって きっと涼は真っ赤になって、一生懸命言い返すだろう それが…最後に見られる涼の姿なら…どんな答えを聞いたって俺は満足だから… 宇佐見はそれでもバイト先に行けば華井に会えると、少しは楽観していた。 だが華井は宇佐見の家を出て行った翌日、突然店に電話をしてきて8月一杯は休ませて欲しい、無理なら辞めますと言い出したと知った。 さすがに華井を可愛がっている店長も難色を示したが、結局は承諾した。 宇佐見は自分に居場所を知られなく無いという華井の決心をひしひしと感じた。 勿論スマホにも出て貰えない。 ラインも既読マークすら付かず、勿論返事など無い。 けれど宇佐見は諦めなかった。 華井は極端に行動範囲が狭い。 虱潰しに探していけば必ず見つけられると自分を奮い立たせた。 宇佐見はバイトに行く時間以外を全て華井を探すことに当てた。 何よりも早く見つけなければ、涼の僅かな貯金なんて尽きてしまう… 華井と一度でも出掛けた所なら、何度でも顔を出した。 大学の図書館にも必ず毎日通った。 それでも華井の行方は要として掴めなかった。 宇佐見が華井を探し続けて二週間近くになる頃、突然赤坂と朔宮と賀川が宇佐見の家に訪れた。 「宇佐見さ~ん、涼ちゃんまだ見つからないんでしょ? 大学始まったらまた会えますよ。 ちょっとは落ち着けば?」 宇佐見は朔宮を見ずに答えた。 「一刻でも早く会わないと駄目なんだ」 「純くん、涼ちゃんをそんなに怒らせるなんて何したの?」 賀川の無邪気な質問が、宇佐見の胸を抉る。 「…言えねぇ…」 「宇佐見がそんなに必死になるの初めて見たな~。 そんなに涼くんが好きなんだ?」 赤坂のノンビリした質問が、何故か宇佐見の癇に障った。 「ただ好きなだけなら、こんなに必死になったりしない! 俺は涼をただ好きなんじゃ無い! 恋してる…! 涼は俺にとって恋人なんだ! 涼だって俺を初恋かもって言ってくれたんだよ!」 赤坂はふにゃっと笑うと、「合格~!」と一言言った。 宇佐見が意外過ぎる言葉に呆然とする。 「いや~あの宇佐見さんが恋人宣言ですか~。 まぁ涼ちゃんの気持ちはまだ確認出来てみたいですけど」 朔宮がニヤリと笑う。 「…朔宮…?」 「まっこれで純くんが本気だって解ったし~。 あとはゆっくり二人で話し合えば?」 「…だから! 涼の居場所が分からないから…話しが出来ねぇんだよ!」 宇佐見が苛ついて賀川に言い返すと、賀川がにっこり笑った。 「涼ちゃんなら、今は俺んちにいるよ」 「……はあ?」 「宇佐見さーん、魂抜けてますよ~! 涼ちゃんはね、宇佐見さんちを飛び出してから、俺達三人の家で順番に匿ってたんです」 朔宮がポンポンと宇佐見の肩を叩く。 「…だって…初日に朔宮んちに電話したら…」 「あーあれはさ、サクんちじゃ、さすがに直ぐにバレるだろうと思って、俺んちに呼んだの」 赤坂がアイスコーヒーを飲みながら、笑って言う。 「…なんで…なんで俺に教えてくれなかったんだよ!?」 宇佐見の声が荒ぶる。 「じゃあ、お前は涼くんに何したの?」 赤坂の顔から笑顔が消えて、射るように宇佐見を見る。 「涼くんはお前にされたことを、俺達に何も言わなかった。 でも涼くんは、今の純くんには何を言っても分かって貰えないから、ちゃんと話せるようになるまで離れることにしたと言った。 『今の純くん』って何だよ? あれだけお前に心を開いてた涼くんを、拒絶するようなことをお前はしたんだろ?」 宇佐見は頷いた。 頷くしかなかった。 「だから俺達は宇佐見さんの本当の気持ちを知りたくて…。 宇佐見さんの行動を見守ってたんですよ」 朔宮が静かに言う。 「でも純くん頑張ってた! 涼ちゃんに本気で会いたいっていうのが伝わってきた! それにさっきの恋人発言…あーちゃんと同じ! 合格だよね!」 賀川がバンバンと宇佐見の肩を叩く。 「賀川の家にいるんだな?」 宇佐見は立ち上がると言った。 「ちょっと待ってよ! まさか今から会いに行く気!?」 賀川も慌てて立ち上がる。 「そうだ。 俺は涼に謝って、涼から話を聞かなきゃ駄目なんだ」 「宇佐見さーん。 涼ちゃんにだって心の準備が必要ですよ。 せめて明日、宇佐見さんちで話すのはどうですか?」 「そうだよ純くん! 純くんも落ち着いた方が絶対良いからっ!」 宇佐見はジロリと朔宮と賀川を見た。 「明日、絶対涼をうちに連れてきてくれるんだな? また…匿うとか…」 「無い!無い! 涼ちゃんだって、純くんがちゃんと話聞いてくれるならって、待ってるんだよ!? 絶対オッケーするから!」 宇佐見はソファに座ると、「じゃあ今すぐ涼と約束しろよ」と言った。 宇佐見の頭を赤坂がバッチーンと叩く。 「それはお前の役目だろーが!」 「でも…俺からの電話じゃ出てくれない」 「良いからやってみろ! お前の行動は逐一涼くんに報告してある。 涼くんの気持ちだって、動いてるかも知んねーぞ?」 逐一って…俺を尾行でもしてたのかよ… 宇佐見は取りあえず疑問を置いといて、華井に電話を掛けた。 華井は案外直ぐに電話に出た。 『純くん?』 スマホ越しに聞こえる華井の声に、宇佐見の胸が震える。 「涼…この前は本当にごめん」 『…うん…』 「ちゃんと会って謝りたい。 それで今でも涼が俺に話したいことがあったら聞きたい。 涼が誤解だって言ったこと…聞きたいんだ」 華井は一瞬黙ると、『いいよ』と言った。 「明日、うちに来てくれる? 昼飯用意して待ってる」 『…うん。じゃあ正午頃行くよ』 「ありがと。また明日」 宇佐見は電話を切っても、暫くスマホを離せなかった。 「ほらー! オッケーしてくれたでしょ? 純くん、明日はくれぐれも冷静にねっ!」 「そうそう。 何やったか知りませんが、あの涼ちゃんが食欲無くしてたんですからね?」 食欲… きっと気持ち悪くて、食べられなくなったんだ… 「ほらほら落ち込んでるヒマねぇぞ。 明日のことを考えろ! 言っとくが、俺達は涼くんの味方だ。 またお前と離れるようなことになって、自宅にも帰りたくないって言うなら、今まで通り三人の家に置くし、お前には絶対に会わせない。 良く考えて行動しろよ」 朔宮と賀川も、赤坂の言葉に頷いた。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

57人が本棚に入れています
本棚に追加