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【9】デート
昼休みになると、華井にしては珍しく食欲が無かった。
眠そうに何度も欠伸をしていた。
「涼ちゃん…もう食べないの?
胃の具合でも悪い?」
「…そんなんじゃ無いから心配すんな」
華井は賀川に笑って言った。
だがその笑顔は明らかに無理をしていて、四人は余計に心配がつのった。
「眠たいんじゃない?」
朔宮の問いに、華井はコクリと頷いて小さく呟いた。
「…身体がダルい…」
「涼、午後あと講義いくつあるの?」
華井はゆっくりと宇佐見を見上げた。
「一つ」
「それ絶対出なきゃダメ?」
「んー…そんなこと無いけど…」
「じゃあ行こう」
宇佐見は華井の細い腕を掴んだ。
「行くって…どこに?」
「俺んち」
まだ理解出来ていない様子の華井を、宇佐見は強引に連れ帰った。
キョトンとしてソファに座る華井に宇佐見は、「これ俺のだから大きいと思うけど、良かったら着替えなよ」と半袖Tシャツとハーフパンツのパジャマ用の上下を渡した。
「純くん?」
「着替えたら寝る!
俺達今夜バイトだろ?
そんなんじゃ保たないよ?」
華井はちょっと照れたように笑うと、「ありがと」と言った。
宇佐見のパジャマを着た華井は、やはり大きめのせいか肩も落ちていて、宇佐見の予想以上にかわいかった。
ヤベ…
かわいい涼…久し振りだし…
俺、大丈夫か?
そんな宇佐見の気持ちを知らない華井はご機嫌で、「あ~ラク~!」と言いながらベッドでゴロゴロ転がっていた。
それから突っ立ったままの宇佐見に言った。
「純くんも着替えろよ?
腕枕してくれんだろ?」
宇佐見はサーッと青ざめた。
そうだよ…
こうなるんだよ…
すっかり忘れてた…
宇佐見は自分の腕の中で満足そうに眠る華井を見て、複雑な心境だった。
クソ…相変わらず寝顔もかわいいし…
甘い香りがする…
これは一体何の試練なんだよ!?
宇佐見は、はぁ~とため息を吐くと、自分も寝ようかな…と思って、また華井に目をやった時、それに気付いた。
宇佐見の貸したパジャマは元々襟刳りが大きくて開いていて、それがラクで気に入っているのだが、華井にはサイズが大きく、寝ているせいもあって、鎖骨まで見えてしまっていた。
綺麗な鎖骨の下にその赤い跡はあった。
どう見てもキスマークだった。
宇佐見は思わずその跡にそっと指先で触れた。
しっかりと残されたその赤い印は、相手の情熱を示すかのようだった。
…涼に女がいる?
でもバイトの後でお茶した土曜日、『誰とも付き合わない』って言ってた…
それにこれ…本当に女が残した跡なのか?
こんなに強く吸うって…
宇佐見は華井の頭から、そっと腕を抜いた。
華井は熟睡してるようでピクリとも動かない。
静かに上着を捲る。
無数に散らばる赤い跡が見えた。
胸の突起に目をやると、そこも赤く腫れていた。
宇佐見は上着を元に戻した。
そして確信した。
涼の相手は女じゃ無い
女でここまでするヤツなんていない
相手は…男だ
昨日よほど酷く抱かれた?
だからこんなに疲れてる?
その時、スマホがマナーモードで震える音がした。
宇佐見は慌てて自分のスマホを見たが、自分のでは無かった。
ソファに無造作に掛けられた華井の洋服から音はしている。
宇佐見はデニムパンツのポケットに差されてあったスマホを取り出した。
画面を見ると、『前野淳』と表示されていた。
『淳だから淳』
涼はお兄さんの名前をそう言った
でも…名字が違う…
その内、諦めるように着信は切れた。
宇佐見はスマホを元通りにしまうと、寝室に向かった。
すごく安心する…
あったかい…
でも何だろう…
淳とは何かが違う…?
華井はゆっくり瞳を開けた。
目の前の胸に縋りつくと、「起きた?」と頭の上から声がした。
華井が驚いて顔を上げると、宇佐見が微笑んでいた。
「純くん、ごめん!
眠ったら腕抜いてくれて良かったのに!」
華井が慌てて言うと、宇佐見は「途中休憩してたし、本読んでたから」と言って片手に持った文庫本を振って見せた。
「…うん。でもごめんな。
あれ?今何時?」
華井が身体を起こすと、宇佐見がスマホを覗き込んで、「5時」と言った。
「5時って俺達バイト…今日5時半入りだろ!?」
華井が驚いてベッドから降りようとすると、その腕を宇佐見が掴んだ。
「平気。俺達今日は休みますって連絡入れといたから」
「はぁ!?」
「大学のゼミの関係で、どうしても抜けられなくなったって言っといた」
宇佐見はペロッと舌を出した。
「…あの店、突発で休むの厳しいんだぞ?」
華井が複雑な顔で宇佐見を見る。
「だな。代わりに俺、日曜日も出勤になっちゃったよ。
土日連続出勤だ」
宇佐見は笑って言った。
「…俺が…起きなかったから?」
華井は上目遣いで、宇佐見の瞳を覗き込むように見た。
「うーん…正確に言うと、俺が起こしたく無かったから!」
満足気に言う宇佐見を見て、華井はフッと笑った。
「…お前ってホント変なヤツな」
「そう?」
華井はベッドにポスンと座った。
「…まぁいいや。
気を使わせて悪かった。
ありがと」
「本当に悪いと思ってる?」
宇佐見が目をクリクリさせながら、華井の顔に顔を近付ける。
「純くん?」
「悪いと思ってるなら…今夜デートしてよ」
「はぁ!?」
「涼、悪いと思ってるんだよな?
飯食って、遊ぼうよ」
「……」
「俺…土日仕事なんだよなあ…」
華井が小さくため息を吐く。
「分かったよ!付き合うよ!…しょうがねぇな…」
華井はブツブツ言いながら、顔を赤くしてソッポを向いた。
それからニ人は着替えると、宇佐見の家を出た。
宇佐見は華井の身体のことを考えて、食事の後、映画を観ようと言った。
華井が頷いたので、宇佐見は車を出して、シネコンが入っている大型のショッピングモールへ向かった。
丁度観たい映画の上映時間に間に合ったので、先にチケットを買って食事をすることにした。
華井は自分のチケット代を出すと言ったが、宇佐見は「今日はデートだから」と言って断った。
華井はキョトンとして宇佐見を見ていたが、その内、顔を真っ赤にして「サンキュ」と一言言った。
華井は食事の前に、バイト先に電話を入れた。
宇佐見は華井も日曜日が出勤になったのかな?と思った。
ところが華井は電話を切ると、「…何の罰ゲームだよ…」とスマホを睨んで言った。
「店長何だって?」
「それがさぁ…今度の土曜日、客の前で一曲弾けって言うんだよ…何で俺が…」
宇佐見は笑って華井の頭をポンポンと叩いた。
「いいじゃん。涼のピアノ、俺も聴きたい」
「簡単に言うなよ…。
プロの後にド素人が弾くんだぞ?
恥かくようなもんだろ!?」
「何事も経験!
怒ったら飯マズくなるよ?
行こう」
宇佐見は華井の手を引くと歩き出した。
宇佐見は全然料理が出来ないと言う華井の腕前が知りたくて、焼くだけだから…と思い、お好み焼きの店に入った。
ところが宇佐見が「涼、焼いてみてよ」と言うと、「…焼いたこと無い…。俺不器用で、いつも兄貴がやってくれるから」と赤くなって俯いた。
じゃあひっくり返すだけ、と宇佐見が粘ると渋々コテを掴んだ。
結局、失敗した華井は顔を真っ赤にして、「だから言っただろ!」と言って怒った。
それが余りにもかわいくて、宇佐見は笑いが止まらなかった。
その後は宇佐見が綺麗に焼いてやると、途端に華井の機嫌は直った。
いつものようにニコニコ嬉しそうに笑って、「うまい~!」を繰り返しながら、頬袋を一杯にしていた。
たまに「アチッ!」と言って、また宇佐見を笑わせた。
映画を観ていても、華井の反応に宇佐見は飽きなかった。
緊張する場面になると、宇佐見にすり寄ってくる。
怖いものが苦手のようで、そういう場面になると宇佐見の腕にしがみついて来た。
宇佐見はそんな華井の肩をそっと抱いた。
映画が終わるまで、宇佐見は華井の肩をやさしく抱いていた。
華井は映画が終わると、「もう帰らないと…」と、ちょっと残念そうに言った。
宇佐見が家まで車で送ると言うと、嬉しそうに頷いた。
住所を聞くと、宇佐見の家と同じ沿線で、電車で30分位の距離だった。
華井の家は10階建てのマンションで、宇佐見が何階?と訊くと、華井は7階と答えて、高所恐怖症だからベランダに出るのが怖いんだと言って笑った。
マンションに着くと華井は、「今日はありがと!今度は俺が奢るから。また明日。おやすみ」と笑顔で車を降りて行った。
宇佐見は華井がマンションに消えてゆくのを、じっと見つめていた。
そうして車を降りてマンションのエントランスに向かった。
郵便箱の7階の列を見た。
そこにも、どの階にも、『華井』と言う名字は無かった。
ただ、702号室に『前野』と言う名字があった。
翌日、大学で華井に会った宇佐見は、さり気なくニ人で並んで歩くと言った。
「昨日、楽しかったな」
華井はちょっと困った顔をして笑った。
「どうかした?」
「昨日、バイトサボったの兄貴にバレちゃってさ」
「…え?」
「俺達、お好み焼き食べただろ?
髪や服に匂いが着いてたらしくて…。
バイトじゃ無いなって言われて…」
「匂いって…」
宇佐見は驚いて華井を見た。
「うちの兄貴ってそういうの敏感なんだよ」
敏感…じゃ無くて、涼をいつもチェックしてるんじゃないのか?
そう言いたいのを宇佐見は飲み込んだ。
「怒られちゃった?」
「兄貴は俺を怒ったりしない」
華井は当然と言わんばかりにアッサリ言った。
「…涼、昨日…」
「お好み焼きって何のことですか?」
宇佐見の言葉を遮って朔宮がクルッと振り返ると言った。
「…宇佐見さん…昨日涼ちゃんを急に連れて行って…てっきり具合の悪い涼ちゃんを休ませてあげてるんだって…普段天然入っててマイペース過ぎる宇佐見さんにも気が利くところがあるんだなって感動してたのに…。
抜け駆けして涼ちゃんと二人っきりで出掛けたんですね?」
朔宮の言葉に賀川と赤坂も振り返った。
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