コンタクト

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コンタクト

 大阪環状線、背後から無遠慮な人波に押し流されて、ホームに降り立つ。ああ、下水臭い。天王寺の駅は独特の臭いだ。  むせ返りそうになりながら、階段を上る。上りきれば、ワッフルとシュークリームの匂いで、少しはましになる。もっとも、改札を出て、駅前交差点に出れば、排気ガスを足した臭気がお出迎えだ。  再び訪れた臭気。息苦しさを覚えながら、横断歩道を渡る。  本来なら、乗り換えの駅であるはずの、この駅で改札を出る必要はない。じゃあ、どうして仕事の疲れが残る中、対岸の近鉄阿倍野駅へと渡るのか。  それは、ある歌姫に、御執心だからだ。 “You are my religion 信じていた この宝石(いし)の輝きを”  蒼い蒼い夕闇の空の下、憂いを帯びた声が響く。そのアルトボイスは、まるで少年のようで、失意に塗れた歌詞とともに、青い息を吐いているように聞こえる。それに、クラシックギターの音色が花を添える。  曲調は、穏やかで、ボサノヴァを彷彿とさせる。 “あなたに酔っていた あの日を思い出す”  けれど、どこか静かな怒りを孕んでいるかのようで。聞いていると、心の底をずんと突かれるような感触がする。彼女の歌は、曲調と、その根底にある感情の裏腹さが、何よりもの魅力と感じる。  やがて、歩道橋の下で歌う彼女と対面する。やはり、ロックやポップスの方が受けがいいのか、彼女の歌に聞き入る人の数は少ない。僕を含めて、真剣に聞いているのは、七、八人くらいか。
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