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地平線まで続く土漠の景色。
呼吸をしただけで、砂塵が喉に張り付く。瞬きすら阻む劣悪な環境。崎山は、また戻って来てしまったという失望感に苛まれながら、国境の街をひた歩いた。
検問の列を待つ。自分と同じく、メキシコに戻る人々が列をなしている。
三十メートルほど先に目線をやると、荒々しい手つきで手荷物を開ける国境検問の様子が伺える。まるで家畜を扱うような手裁きは、同じ人間であることを忘れさせるほどであった。
時計を眺め、暫し自分の番を待つ崎山。
日本にいる頃は微塵も感じなかったが、ここに移り住んでから、国境には大きな壁があると知った。
「土人どもめ」
耳慣れない言葉はヒスパニックによるスペイン語である。大袈裟に身振り手振りしながら感情的に話す彼らの表現が、囂しく感じられる。
四六時中、会話を好み、こうして列に並んでいる際も、見知らぬ人と友人になってしまう。
「次、お前、パスポートを見せろ!」
ティアドロップのサングラスをかけた短髪で大柄の国境検問員が、崎山に向かって声を荒らげた。
列に並びはじめて三時間、漸く自分の順番が回ってくると、崎山は胸ポケットから臙脂色のパスポートを取り出した。
「日本人か、珍しいな」
エルパソ国境のゲートは全三列。
別の列に並ぶヒスパニック系移民は、盗人を扱うかのように全身洗い浚い調べ上げられたが、日本人の崎山にはものの数秒で通行許可が下りたのである。
X線探知機を通過し、メキシコ国境側へ向かおうとする崎山。すると、「おい」と、突如、自分を呼ぶ声がした。
振り返る崎山。すると先ほどの検問員が表情を硬べながら問うた。
「あんた、観光客か?」
「え、ええ」
検問員は、ティアドロップのサングラスをずり下げ、
「ここは観光客の来る場所じゃない」
と崎山に忠告した。
背後では、人工河川のリオグランデ川が、澱んだ水面を照らしている。
さらに検問員は崎山に近寄ると、「腕時計を外せ、金目の物は隠せ」と具に指示し始めたのだ。
「フアレスは危険な街だ。連中は貴様の腕を切ってでも物品を奪いに来る、絶対に油断するな」
この時点で崎山は、ただならぬ恐怖を感じていた。
有刺鉄線の張り巡らされた国境壁を越えると、そこは先程までいたアメリカの町並みとは打って変わって、荒廃した土漠の景色が広がっている。
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