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「おいおい、うちの会社は相対評価ではないはずだぞ。若手を引き合いに出してワシを貶めるとは、その態度が気に入らねえなぁ!」
嘉門が机をガンと叩くと、筋裏の顔が引き攣った。
「いえ、そんなつもりは…」
「それに、山田がワシより経験があるといえるのかね」
経験―。
それは、老練社員が使う無類の武器である。
自分より勤続年数の短い社員に対して、「経験」という言葉を多用し優位に立つ。経験という台詞は嘉門が三十余年の会社員生活で得た唯一無二の取所なのである。
「多少、外国語が出来るからといって、中身は伴っておらんやないか。なぜ、ワシの評定が三で山田が五なのか、納得のいく説明をしてくれ」
「も、申し訳ございません…」
終に筋裏が押し黙ったところで、
「じゃあ、俺の今期の評価は五でいいな、五に書き換えておくれ」
と嘉門は話を切り上げた。
いったん再評価が得られれば、それ以上、話すことはない。
颯爽と会議室を出る嘉門。
すると次の瞬間、バンッと会議室の扉を開く音がした。
「たわけ、さっきから黙って話を聞いておれば!」
そこに現れたのは紛れもない、人事全権を握る神、人事部部長の城山丈一郎である。
突然、姿を現したジョーに嘉門は恐れ慄いた。
「し、城山部長。こんなところで」
「貴様の人事考課の様子を盗聴していたのだ。何を言うかと思えば、随分な身分やな」
短刀を突き付け凄みかけるジョー。嘉門の怒りの矛先は筋裏へと向けられた。
「お、お前、もしや、人事部にたれ込んだな!」
すると、
「貴様、上司に向かってお前とは何事だ」
すかさずジョーが反応した。
「ええか、安徳工機の社員規則、上司に楯突く者は即ち死とある。貴様はこの一説を忘れたのか」
安徳工機では、全事業所、全社員が朝礼で鬼の十戒を唱和する。
勤続三十五年、絶えることなく詠み上げた社訓を忘れるはずがない。
「貴様、今からワシの前で鬼の十戒を詠み上げろ」
「こ、ここでですか?」
「何か文句はあるのか」
「い、いえ…」
やむなく嘉門は社訓を暗唱し始めた。
「ひ、ひとつ、人事は基本的に三年でローテーション。例外はない。ひとつ、社員は会社の駒であり、機械の一部であり、人間ではない…」
嘉門が社訓を詠み上げると、「さすが、やれば出来るじゃないか」とジョーは手を叩いた。
尚も、筋裏を睨み一瞥する嘉門。
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