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「そんなことないよ。昨日もトイレで首吊った社員を回収して、現場の偽装に苦労したんだ。この会社の警備は楽じゃないよ」
崎山は皮肉を込めて苦笑した。
労働災害や過労、また鬱で自殺する社員が後を絶たない。社内で死んだ社員の後始末をし、提携先の特殊清掃員を呼んで証拠を隠滅するのも、警備員の大切な仕事のひとつだ。
「ほう、ちなみに自殺したバカ社員は誰ですかね」
「技術部の村田だよ」
「村田? あいつ、結婚して子供ができたばかりなのに、気の毒だなぁ」
「ああ、幸せの絶頂期にロシア支社への異動が決まって、自棄になって死んだらしいぜ。既に体中、蛆が湧いとった。この時期はすぐに死体が腐るから嫌だね」
村田は、連日の深夜残業と、パワハラ上司による執拗な叱責で精神を病み、挙句の果てに海外出向を命じられた。幸せの絶頂期に言い渡された出向命令。当然、現実を受け入れることが出来ず、衝動的に命を絶った。トイレの電灯に清掃用のゴムホースを括り付け、首を吊って自害。足下には「クソ上司、絶対に呪ってやる」などというおどろおどろしい遺書が残されていたという。
「ほんで、死体はどうやって処理したんですか?」
「岐阜に鋳造工場があるじゃろう。死体をアルミ溶炉に投げ入れて、跡形もなく始末したってわけ。今年に入ってこれで十人目。いずれ鋳造課は呪われるだろうね」
崎山は高々と笑いながら言った。
「その点、あんたはあっけらかんとしていていいね。その年になるとまるでストレスもないだろう」
「そんなこともないよ、最近の管理職は、若くして出世した手前、頭でっかちで現場を知らん。机上の空論じゃ工場は動かんよ、まったく」
嘉門が苦言を呈すと、
「おお、こわ。こんな部下がいたら上司もさぞ、扱いにくいだろうねえ」
と崎山はおどけてみせた。
デスクに着いた嘉門はパソコンの電源を付けると、なるべく多くの社員にメールを送信し「自分はこの時間から働いている」というアピールをする。これは、窓際社員が自尊心を誇示するための典型的な手法である。
「おはようございます」
朝七時半。嘉門の上司、筋裏が出社した。
始業時間は九時のため、これでも随分と早い方だ。
前日は夜十二時まで会社に残った筋裏である。管理職ともなると、勤務時間は延々と長くなる。
「部下より遅く出社するとは、いい身分だねぇ」
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